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モーツァルトを感じたベートーヴェン:クルレンツィスの新譜によせて

日記・雑記
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                     2020年04月23日

予想されたことではあったけれど
クルレンツィスのベートヴェン交響曲全集のスタートは
第五番からでした。

そして、おそらく世界最速の第一楽章。
これもなんとなく予想できていました。。。
率直に申し上げれば、最初に聞いた時、
チャイコフスキーの「悲愴」以来の音作りと同じ傾向だな~と思いました。
クルレンツィス贔屓の私も、変わらぬ芸風?に安心すると同時に
ちょっと衝撃度が弱まってきているかな~などと
贔屓の引き倒しのようなことを呟いてみたくなったのでした。。。

でも聞き進めるうちに、この音の感じは
つい最近聞いていたような気がしてきたのです。
記憶の糸をたどっていってみると
行きついたのは、モーツァルトのシンフォニーでした。
先日ご紹介したミナーシの
モーツァルト39番・40番・41番のアルバムを
スライドさせたような感覚。
もっと言えば、第一楽章は、
ミナーシよりヘルツォークのアルバムの方が
感覚的に近いな~と思ったのです。

単なるスピードの問題かとも思いました。
第五交響曲は、私は速めが好きですが
しかし、そういう系であろうと思われる
クライバーやアーノンクールでさえ
クルレンツィスとは、なんだか質的な差異を感じるのです。
徹底の度合いが違うと、質的な変化を感じてしまうということでしょうか。
余計な情感に流れないよう、あえて響きをコントロールし、
緩まない弾丸のようなオケの演奏が続きます。
そして、グイグイ前のめりのまま演奏が終わってしまうのです。

以前に「悲愴」のレビューをしたときにも申し上げましたが
クルレンツィスの描く世界は、
上品とか優雅とかロマンティックとか
そういう言葉(美学的修辞)を無効にする魅力があるし
それはパグ太郎さんが指摘してくださった
音楽の原型をむきだしにする原理主義的な音楽とも
いえるでしょう。
これはクルレンツィス本人も
インタヴューに答えて述べていたことがあります。
https://www.youtube.com/watch?v=c5RqUKTd_ak

だとすれば、ベートーヴェン第五交響曲の原型は
かなりモーツァルトの後期シンフォニーと
通底するものがあるということかな~と。。。
そう思って聞くからでしょうか
聞けば聞くほど、モーツァルトを感じてしまっている自分がいます。
そのへんのところ、正直、私には真っ当な聞き方なのか
よくわからないでいます。。。(汗)

あんまりこういう話ばかり申し上げるのも何なので
少しちがった角度から、このアルバムをながめてみましょう。
青木やよひ著『ベートーヴェンの生涯』によると
この第五交響曲が書かれたころのベートヴェンは
まるでジェットコースターに乗っているかのように
「禍福は糾える縄の如し」を地でいっている時期でありました。

まず第五交響曲発表の前は、かなり経済的に困窮していました。
フランス軍のウイーン占領に前後して、物価高に見舞われ、
しかも彼のパトロンたちがウイーンを次々と離れていったからです。
また難聴以外の健康的な不安もいくつか抱えていました。

他方、女性関係はいちばん華やかであった時期で
秘めた大恋愛の破局の次には、婚活にいそしむ姿が描かれ
また恋愛関係にまでいたらずとも、
たとえば経済的苦境を救ったパトロン女性も現れ、
とにかくいっぱい女性の名が登場します。。。
また貴族社会の慣習的な男女関係に
彼自身は意味を感じていなかったので
友愛的な関係の女性も数多かったようです。

ただ音楽的にはアンチの人々は、まだかなり多くて
好きな人は熱烈なファンになるというような
カルトスターっぽいところもあったということなんだと思います。
現に第五交響曲の初演(初演当時は第六番だった)は
第六番田園とともに演奏されたにもかかわらず
不評に終わります。

これが明確に転じるきっかけとなったのは
ナポレオンに対する市民階級の失望という事態でした。
ベートヴェン自身もナポレオンには失望したでしょうが
皮肉なことに、その失望の受け皿的な存在になったことで
程なくして彼の人気と名声は一気に高まっていくのです。

長々と第五交響曲成立の周辺事情を説明してきましたが
こうしてまとめてみると
クルレンツィスの第五交響曲は
この時代のベートヴェンには、似つかわしいのかもしれないという
気もしてきました。
「不屈の魂を持つパワフル男の書いたシンフォニー」
ぐらいの印象に過ぎませんが。。。
でも、それがモーツァルトのように聞こえてしまう。。。
う~ん、やはり私だけなんだろうか。。。と
またひとりごちです。

とはいえ、クルレンツィスのベートヴェン・シンフォニー全集が
このコロナウイルス禍に見舞われた世界で
これからどのように響いていくのか
そしてわれわれ聞く者にどんな力を与えてくれるのかは興味深いです。
もしかすると、ちょっと変わってしまうのかも。。。
演奏する側、そして聞き手もそうかもしれないし
また微妙な変化かもしれないし、
ドラスティックな変化になる場合もありそうな気がします。

コロナウイルスのヒトへの感染変異は
今世紀に入って3度目だそうですが、
それまではわずかに4回しか記録に残っていないそうです。
こうした頻発化の背景に
自然環境の変化、とりわけ生態系の破壊と
それによる野生動物とヒトとの社会的距離の接近を
指摘する科学者や歴史学者の声があります。
文明史的な警鐘なんだろうな~と考えることしきり。。。
意外にも自然を愛したことで知られるベートーヴェンは
ウイーンの森をよく散策していたそうです。
そんな彼が今の世界をどう見ただろうか?
最後になんとなく考えてしまった私でした。。。

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