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ベートーヴェンと青木やよひさんの微笑み:シャニ・ディリュカの新作によせて

日記・雑記
日記・雑記
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                     2020年03月07日

これまで何度も、この日記でご紹介してきた
お気に入りのピアニストであるシャニ・ディリュカの新作
『コスモス~ベートーヴェン&インディアン・ラーガ』が
リリースされて、もう1か月ほど経ちます。

その間、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」、「熱情」と
インドのラーガ音楽をフィーチャーした
一見チャレンジングに思える構成の
このアルバムの魅力をどのように伝えようか
思案しながら(というか、なかば瞑想にふけるような感じで)
聞き続けてきました。。。

聞き始めた当初の疑問は
なぜラーガ音楽なのか?ということでした。
そのあたりの知識を得るために読み始めたのが
青木やよひ著『ベートーヴェンの生涯』(平凡社ライブラリー)でした。

これはベートーヴェン研究に一生を捧げてこられた著者の遺作で
その集大成といえるベートーヴェンの評伝です。
私はボンでの少年時代(第1章)から
グイグイ引き込まれて読んでしまいました。。。

まず語り口が平易で、読みやすさを感じたということはあると思います。
楽譜や音楽的な知識がそれほどない私のような者でも
どんどん読み進めていけますし、
ほどよく歴史的背景も語られているので
そのへんは実にありがたかったです。。。
ただ、この評伝のいちばんの魅力は
一貫した「人間=ベートーヴェン」への愛情に支えられた
青木さんの血の通ったコメント部分にあると思います。

たとえば第1章から拾ってみると
ベートーヴェンは
初級学校時、勉強はあまり得意ではなかったらしいのですが
長じても計算が苦手だったとか言い立てる向きがあることに対して
「本来の知育の重要性とはそうした末梢的な点にではなく、
学芸に対する自発的な知的好奇心や鑑賞能力を促す点に
あるとすれば、のちに見られるように、彼は独学で
十分にそれを身につけたのだった」(P25)とか
幼少期あまり社交的でなかったルイ少年が
「家の裏手にのぞまれるライン河の豊かなひろがりや、
遠くに峰をつらねるジーベンゲビルゲの眺めを、
時の経つのも忘れて見入っていることが多かった。
そんなとき少年の脳裏には、まだ形にはならないが
壮大な音楽が鳴っていたのかもしれない」(P26)などといった
コメントが全編にわたりちりばめられていて
読者がベートーヴェンの人間像に心理的に寄り添えるような記述
となっているように思えました。

話題を戻しましょう。
なぜラーガ音楽なのか?でした。
ベートーヴェンが40代に残した日記には
彼のインド思想に対する造詣の深さが示されているそうなのです。
青木さんの『ベートーヴェンの生涯』(P191-193)によると
古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』や、その叙事詩の一篇である
『バガヴァッド・ギーター』などの引用が、
その日記にはしばしば見られ、
また音楽的にもインドの音階が書き留められたページもあり
東洋学者との書簡では、彼が「インド的合唱曲」を構想していたことも
明らかにされているとのこと。

なぜベートーヴェンはインド思想に関心を持ったのか?
青木さんはこう断言しています。
「こうした彼の関心は、音楽家としての知的な欲求だけから
生まれたのではない。近代的な人権と自我の確立だけでは、
人間の究極的な苦悩は救われないという自分自身の体験に
導かれたものだったと考えられる」。
ここは大事なところなので、さらに引用します。
『バガヴァッド・ギーター』の一節を彼が引用したものです。
「己れのあらゆる情熱を抑制し、ことの結果を気にせずに、
己れの行動力を傾注して、人生の解決すべきあらゆる事柄に
あたる『者』は、幸いかな!」
青木さんは、これと(引用文なのか彼自身の言葉なのか判然としない
とはことわりながら)次の日記の内容が重なっていると指摘しています。
「運命よ、おまえの力を示せ!私たちは自分自身の主ではない。
定められたことは、そうなる他はないのだ。それならそうなるがよい!」
そしてこうした文章の背景にあるのは
「西欧的人間主義でも、いわゆる東洋的宿命観でもない。
運命を受容しながらそれを超えようとする、ある種の悟りの境地である」
とまで言っています。

この日記が書かれた時期は1812年から18年までで
もはや時代の寵児となり、世俗の栄光に輝いていた当時の日記では
ありますが、他方進む難聴と最後の恋の破局といった人生の危機にもあった
時期のものでもあります。
青木さんは彼の次のような言葉が上記の省察から生れ出たものではないか
としています。
「万物は、純粋に澄みきって神より流れ出る。たとえ度々悪への情熱に
駆られて目を曇らせようとも、私はいく重にも悔恨と浄化を重ねて、
至高なる純粋な源泉、神性へとたちもどったーそしてーおんみの芸術へと」

この言葉には2つポイントがあると思います。
ひとつは「悪への情熱」であり、もうひとつは「神」であります。
少しインドから離れてしまいますが話を敷衍しておこうと思います。

青木さんはベートーヴェンとハイドンとの関りにおいて
あまり指摘されていない事柄に注目しています。
ベートーヴェンの作品1となっているのは三つのピアノトリオです。
この初演時にハイドンも出席していて
演奏後、総評としては言葉を尽くしてほめたたえたハイドンは
でも三番目のハ短調は将来機会があっても出版しないように
と忠告するのです。
これは当時も意外な反応だったようで、現代の私たちからしても
その第三曲は出色のできばえであるように思われるのですが
よく言われているのは、新旧世代間のギャップによるものだという説で
青木さんもそれは否定しないものの
ルイ・ドゥルーエの説をひきながら
「この一見陽気で快活な老大家は、ベートーヴェンの内なる、対立する
諸要素が生み出す複雑でデモーニッシュな魂を見てとって、それが
受け入れがたかったのかもしれない」(P76)と述べています。
私はこれは達見じゃないかな~なんて思ってしまいました。。。
この葛藤はベートーヴェンの人となりを語るうえでは外せない事柄であり
でもこれがあるゆえに彼の音楽は
生誕後250年経った今も愛されているのではないかな~
などと考えるのでした。

また彼の語る「神」の最終的な到達点は
やはり第九の中の神であり、
それはもはやカトリック信仰の枠内に収まらないものになっていたことは
たびたび指摘されてきました。
ボン時代、洗礼を受けた教会はフランチェスコ派の教会であり
そこでオルガン奏者としての研鑽を積んだこと
影響を受けた人々(たとえばゲーテやシラーなど)の
フリーメイソン的な思考。
古代ギリシアの詩人やカントの自然史研究の理論書からの引用は
インド思想と並んで、日記を特徴づける内容となっており
なんと聖書からの引用は、この日記にはひとつもないのだそうで
青木さんは第九において引用したシラーの詩は
ボン時代から愛好してきたものであり、その神なるものとは
<創造主>であり、<星空の彼方に住む、愛する父>であると
位置づけています。
このあたりはエコロジカルな彼女の視点も反映されているかとは
思いますが、普遍的な宇宙観(宗教観)に基づくものであることは
疑いないのではないでしょうか。

さて、そのようなお勉強を経たあと
シャニさんのアルバムを聞くと
なぜかとても馴染んできたのです。。。
構成としてはメーブーブ・ナディーム(シタール)を中心とした
ラーガ演奏のあとに、
彼女のピアノ独奏が続くのですが
ときにミテル・プローヒト(タブラ)が彼女のピアノに絡んできたり
最後はメーブーブ・ナディームも交えての三重奏的な展開も
ありました。
最初は、そういう構成ばかりに目がいってしまい
全体として聞くことができないでいたように思うのです。
バラバラに聞いていたという感じです。
今はようやく全体としてアルバムが響き合って聞こえるように
なってきたような気がしています。

このアルバムは、もしかするとハイドンは「どうも。。。」
というかもしれないけれど(笑)、
ベートーヴェンや青木やよひさんに聞かせたら、
おそらく微笑んで「いいチャレンジだった」と
言ってくれるのではないか
そんな気がしてしょうがない今日この頃なのでした。

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