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ショーンバーグからシェーンベルクへ:ファウスト「ヴァイオリン協奏曲・浄夜」によせて

日記・雑記
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                    2020年02月15日 

イザベル・ファウストの新作は
シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲と「浄められた夜」の
カップリングです。
CDを入手して数日ですが、ミセラレタカノヨウニ
何度も繰り返し聞いてしまいます。。。

最初に収められているのは、ヴァイオリン協奏曲なのですが
ご存知のように、渡米後、割とすぐの1934-1936年に
十二音技法で作曲されたものです。
シェーンベルクはハイフェッツを想定して書いたようですが
ハイフェッツは初演を断ります。
そういういわくもあったせいか
あるいは技巧的に難しいということもあるのでしょう
意外に録音はそれほど多くなく、
私が聞けたのは5ヴァージョンほど。
よく知られたところではハーンのものでしょうか。

ファウストのヴァージョンは
まず一聴して分かりますが
切れ味抜群のカミソリのようなヴァイオリンで
あまりのキレ味なので、聞いていると逆に爽快な感じさえするほどで
(十二音技法ですが。。。)実によく唄っているな~と率直に感じました。
テンポはあえて抑えて、
一音一音をアーティキュレーションよく聞かせる感じ。
ちなみにハーンの最速ヴァージョンが30分弱なのに対し
ファウストのものは35分弱です。
でもスピード感が鈍っているかというと
そんな感じは受けませんでした。
むしろ情感の表現としては
テンポを抑えたのは正解だったように感じました。

驚いたのは、
次に収録されている「浄められた夜」へと続く違和感のなさでした。
1899年の弦楽六重奏版なのですが
技法的にもドイツ後期ロマン派の枠内で書かれた初期の作品です。
もちろん同じ作者のものだから
違和感がないのは当然なのかもしれませんが
ボーッとして聞いていると
2曲が同じ時間の流れの中で経過してしまうのです。。。

やはり和声の感覚のようなものが共通しているからなのかな~と。
ひとつそういうことを考えさせる逸話があります。
以下Wikiからの引用です。
ヴァイオリン協奏曲が書かれた時期と重なるのですが
ジョン・ケージが1934年から1937年にかけて
南カリフォルニア大学のシェーンベルクのクラスで学んでいました。
あるときシェーンベルクはケージに
「音楽を書くためには、和声の感覚をもたなければならない」
と言ったそうで、それを聞いたケージは
自分が和声の感覚を全くもっていないことをシェーンベルクに告白し、
すると、シェーンベルクは
「それは君にとって音楽を続けることの障害になるだろう。
ちょうど通り抜けることのできない壁につきあたるようなものだ」
と伝えると、
ケージは「それなら、私は壁に頭を打ち続けることに一生を捧げます」
と答えた
というエピソードなのですが
確かにケージとシェーンベルクは、この点大きな隔たりはあったのでしょう。
お郷がちがうのだな~と感じます。
若いころから苦労しながら音楽を学んだ師は
クラシック音楽の論理的帰結として
十二音技法へと世界を拡張していったのでしょうし
ノイズと楽音の本質的な差異を感じない弟子の進む道は
自ずと異なることになったわけです。

ケージがそう呼んだかわかりませんが
渡米後、シェーンベルクはショーンバーグと
アメリカ式に呼ばれたそうで
このファウストのアルバムは
ショーンバーグと呼ばれるようになった作曲家から
シェーンベルクの音楽の全体像を逆照射するような
アルバムだと感じました。

興味を持たれた方はご一聴を。

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