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自宅前の田んぼの雪も半分ほど融けて来週から3月。あと1回くらい里雪を我慢すれば、待望の春が‥と期待をしていたら月曜から加速度的に強い雪が降り、水曜の祝日だけでは自宅と実家の敷地の除雪作業が追いつかず、本日(2/24・木)は定年前の余った有給を消化して続きの作業をやっています。[:image1:]
アコスの住人様の’ONKYO…破産(*_*)’の記事を目にしてパイオニア製品の所有率が高い自分もパイのサイトを再確認し「遂に来るべきものが来たか‥」と触発されて私の数少ないオンキヨー製品も含めて思い出を記します。
【ONKYO Integra 714】¥45,000(1969年頃)[:image2:] 1970年代の高校生当時、親類から「使わないから」と頂きました。入出力端子が背中にあると言う変わり者アンプです。その頃は叔父宅で使わなくなったパイオニアのセパレートステレオで聴いていましたから「単体プリメインアンプが使えるぞ」と喜んで戴きましたが、暫く使っていると真夏じゃないのにジイ゙~イ゙~と言うセミの鳴き声のような音が聞こえ音の出どころを確認すると古いアンプの電源部からでした。出音にも雑音が混じっていて今思えば「使わない」からじゃなく「使えない」から寄越したんですね。
高校2年の文化祭ではクラブ活動で1ヶ月かけて作った2wayのスピーカーを部室でデモ展示中、中学時代のアホな同級生が部室を訪れてアンプのボリュームを目一杯にあげ、展示初日の午前中なのにボイスコイルをダメにしたのも、このアンプの仕業で普段は情けないパワー感で鳴ってるクセに、こんなときだけバカチカラ出すんじゃねぇよとKYアンプ(と頭の弱い同級生)をマジ恨みました。その後、別の同級生から請われて快く無償で譲りましたが、最初に触れた機械のメーカーの印象って後々まで引きずりますから人もキカイも第一印象大切ですよね~(汗々)
【ONKYO GrandSepter GS-1】¥1,000,000(1台1984年7月発売)[:image7:] 当時はオーディオ専門誌で目にしたくらいでしたが、2010年、今はなき仙台市内のハードオフ鶴巻店でペアで100万近い額で売っていて初めて現物を目にしました。とにかくデカかったすね。2011年3月の大震災後、店舗や商品の多くがダメージを受け、この店はなくなりGS-1の行方も存じませんが自分的には同店内にあったDIATONE DS-5000のほうが気になってました。GS-1は古いアンプで第一印象が悪かったメーカーの製品で’84年当時、何故に今更オールホーン型?しかもダブルウーファーの割に出力音圧レベル88dB/W/mって!?等々、率直に言ってメーカーの気合が空回りし評論家連中が褒めた割には微妙なスピーカーで鎧を外したようなストリップ写真も情けないお姿で、もしオーナー様がいらしたら最初に誤っておきますが、当時の最新技術でホーン型の様々な問題が解析され素晴らしい音だったらしいです(汗々)
【パイオニアの4チャンネルセパレートステレオ】[:image3:] 上の記事でも若干触れましたが、1970年代初期に叔父が土建業で威勢の良かった頃、パイオニアの4チャンネルセパレートステレオを購入し、無理やりラテンの4チャンネルレコードを聴かされました‥程なくして叔父はゴルフに夢中になって邪魔だからと実家であるウチに一式置いて行ったので自分が良く使っていました。ラジカセよりマシで今思うと結構オオラカな音質でしたが音楽を聴く楽しさがあり、少ない小遣いからクイーンや小椋佳さんのLPを入手して聴いてました。当時、流行したコンポのスピーカーのように布製ネットを取り払ってユニットを露出させたので良く覚えていますが、25cmウーファーの3wayスピーカーでネットで検索したらF-7000と言う型番で、当時の大卒初任給の3倍近い定価でした。
1970年代、叔父は大手建設会社の社員として岩手県内で働き、25歳で物凄い加速のHONDA1300クーペに乗って、岩手県の海沿いの村から麻丘めぐみ嬢のようなミニスカの似合う10代の婚約者を連れて来ました。田舎の中学生の目の前にミニスカ履いたアイドル級のお姉さんが来たんですよ‥本当に眩しく正視できませんでしたね~(汗)[:image8:][:image10:] 叔父はセッカチな性格で普通の人の倍くらい濃い?人生を送ったことから16年前に美人の奥さま(現在も今の麻丘めぐみサン似で当時は相当キレイだったんです。)を残して定年後、セッカチに他界しましたが父の8人兄弟の中では最も頼りになる叔父だったのでとても残念でした。※義理の叔母の写真は葬式じやなくウチの長女の結婚式に出席してもらった時の写真です。念の為。
【パイオニアのコンポーネントステレオ】[:image5:][:image4:] 茨城県高萩市のロケ地巡りまでして自分的にドツボだった朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の主人公と同じく集団就職で都内のラジカセ工場に就職してた最も年齢が近い叔父(現在72歳)の職場が整理され、地元に戻って就職が決まるまで実家にコンポ一式を置いていました。当時は中学生で同級生達が自宅に寄った際、桜田淳子ちゃんの「黄色いリボン」を大音量で聴かせたら田舎の素朴な中学生達は皆驚いたように「本物のコンサートみたい」と少し腰を抜かしていました。以下、記憶の範囲で主な機材を記します。[:image6:]【SA-8900¥78,000(1975年頃)】
中級クラスの売れ筋プリメインアンプで通常のトーンコントロールに上級機譲りの超低域50Hz用と超高域20kHz用のツマミがあり、実質4バンド方式のトーンコントロールで使えました。音質はトモカク、触れると冷たい分厚いアルミパネルと無垢のツマミ類、そしてカクっと決まる素晴らしい感触のレバー式スイッチ類。後継機のSA-8900Ⅱは今でも探しているのですが中々良品が見つからず、格下のSA-8800Ⅱを2台所有して我慢しています。
【CS-T7¥53,000(1台1974年頃)】
リンク先のオーディオの足跡では1977年と記されていますが、実際は1974年暮れにリリースされた製品でNS-1000Mと同様、30cmコーンウーファーにツイーターとミッドレンジがハードドームの3wayスピーカーです。当時のパイオニアに珍しい密閉式スピーカーで見た目より低音出ませんでしたが、プリメインアンプSA-8900の50Hzツマミをあげると豊かな重低音が味わえました。
【CT-9¥89,800(1975年頃)】
叔父が友人から借りて暫く使っていました。当時最新のカセットデッキで次に記すオープンリールと比べても遜色のない音質でした。カセットハーフを直接セットする構造でエアチェックの際、瞬間的に引っ繰り返せると評判で当時の人気機種でした。
【TEAC A-2300S¥99,800(1973年頃)】
当時のレコード再生環境の貧弱さから叔父は「FM放送のほうが音が良い」と言ってました。放送局もレコード音源でしたが厳格な管理の元、殆どパチパチノイズがありませんから「FMfan」で放送予定番組をチェックしてタイマーをセットしNHK「昼の歌謡曲」などの歌番組を音質が劣化しないようオープンリールデッキの19cm/sスピードで丸ごと録音してから、好きな曲だけカセットにダビングする行為が行われていました。(当時の地方ではレンタルレコード屋さんや民放もありませんでしたから‥)前述の「黄色いハンカチ」もFM放送から録音した番組をオープンリールで再生しましたから「本物のコンサートみたい‥」と素朴な中学生達が言ったのも、当時それなりの実力の機材を組み合わせ再生したからだと思いますね。
【番外編その1】PDP-502HD 1999年7月発売 定価168万円[:image9:] 当時、職場の監視用途の大型ブラウン管テレビを更新する際、機種選定を任されて2台調達しました。720p相当画素でしたが鮮明でMUSEデコーダー内蔵ですから当時のアナログハイビジョン放送も見れました。この部署から異動後、片方は数年使ったらガラス面が勝手に割れてしまったそうですが、プラズマは硬いものをぶつけない限り壊れないそうですから、そういうことなのでしょう。
パイオニアもプラズマディスプレイに手を出さなければ、今でも何とか生き延びていたかもしれませんが、以上、’70年代以降の遺構的思い出記事になってしまいました~(爆)
【番外編その2】
2月26日(土)21時からのBS4K「歌える!J-POP 黄金のヒットパレード決定版!(5)」とても良かったです。
特に最後のほうに歌った八神純子さんの’みずいろの雨’と’ポーラー・スター’は彼女の声と容姿が進化していて見応えと聴き応えがありました。いずれBSで再放送が必ずありますから見逃した方は要チェックですが、ドスコイ朋ちゃんだけは放送事故級~(泣)
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