オフ会で持ち込み、他宅での再生を聴いて、「やっぱり鳴りませんな~」と言ったら、意地悪おやじのレッテル間違いなしの音源があります。今回は、そんな様相を呈した、ベルウッドさんご紹介のオーディオ百名山的《名峰》音源と称するものを聴いてみました。
再生が難しい音源って何だろう?と思い浮かべながら自分のオーディオ経験を振り返ってみると、最初に壁に当たったのがオーケストラの再生でした。大編成の交響曲(マーラー第5番)を再生してみて、生演奏は聴いたことがなかったのですが、オーディオから流れる音を聴いただけでひどい再生とわかって落ち込んだのです。
オーディオをやる限りよい再生がしたい!そんな思いから、生演奏を聴きに行ってはオーディオで再生することの繰り返しをしながら追い込みをおこなってきた過去でした。こんな繰り返しをするうちに、オーディオの沼に嵌っていった記憶があります。
さて、ベルウッドさんがピックアップした3曲はいずれもオーケストラと合唱が入った曲です。編成の大きな楽曲を、「その大きさを感じさせるスケール感」「多くの楽器の一つ一つの音を再生する分解能、」そして「低音から高音までが均一な音色で、滑らかでバランスのよい再生」することが要求されます。さらに大編成の合唱が入るとなると、音数の多さやパワー感など更に難易度は上がってきます。
1曲目は、ペルト作曲 クレド。ピアノと合唱と管弦楽のための幻想曲です
1968年に作曲されているので現代音楽に分類されるものでしょう。現代音楽と言っても訳が分からないようなガチャガチャとした音楽ではないのですが、すっと身体に馴染んでくるような音楽でもなかったです。調和→混沌→調和のように印象が変化していきますが、徐々に音量が上がり不協和音を奏でる混沌な部分では、とても音楽とは思えない曲です。しいて言えば、混沌の後の調和の美しさを際立たせるための騒音だったのか?くらいにしか感じませんでした。
1)サロネン指揮 スウェーデン放送交響楽団、P:グリモー 2003年録音盤
音楽理解が出来ていないので聴きどころのポイントも掴めていませんが、音量の高低や音程の高低を破綻なく、音の数や種類の多さを再現し、特に明瞭なピアノと合唱と管弦楽のローレベル時の美しさが求められる曲だと思いました。加えると、ピアノと管弦楽と合唱と並ぶ配置の立体感も再生時のリアリティを感じるためのポイントかと思います。何度も聴きたいと思う再生ではないですが、混沌な後の調和の美しさに安堵し、うっとりと聴けたのでまずは合格でしょうか。
2曲目は、ストラヴィンスキー作曲のバレエ・カンタータ「結婚」
4台のピアノと打楽器のための歌と音楽によるロシアの舞踏的情景と題されています。楽器構成が面白く、4台のピアノと各種の打楽器、混声合唱と4声の独唱で演奏されるところが特徴です。
2)クルレンツィス指揮 ムジカエテルナ、Vn:コパチンスカヤ 2015年録音盤
この曲は正直言って面白さがわらずパスします。自分には、音楽理解困難曲と感じました。録音は、楽器ソロや打楽器と独唱、合唱を明瞭に捉えており、音はよいのですが、情景を表す音楽のはずが平面的で劇としての面白みも感じませんでした。
最後は、ヴェルディのレクイエム
モーツァルト、フォーレの作品とともに「三大レクイエム」の一つと言われ、「最も華麗なレクイエム」と評されている曲です。ヴェルディは宗教音楽としてよりも、劇場音楽を意図して作曲されたともいわれており、大編成の合唱が絶叫するごとくに歌う様子を原寸大で再生するのは極めて難易度が高いと言って過言ではないと思います。
こぼれ話となりますが、数年前にバズケロさんがベルウッド邸を訪問した際に、「1曲目にヴェルディでいきますよ」と予告したところ、ホストは冷や汗が出てしまい冷静なオフ会進行が出来なくなったという逸話もあるほど強烈な曲です。
3)ムーティ指揮 シカゴ交響楽団 2009年録音盤
この曲の最大の難所は「怒りの日」でしょう。この音源では、大編成な合唱が熱唱する様が圧倒的なスケールで収められている録音です。米グラミー賞で最優秀クラシック・アルバム賞と最優秀合唱パフォーマンス賞を受賞しただけのことはあると思いました。しかしながら、ライブ録音であり、ひとつひとつの音の明瞭さに欠けます。必ずしも録音を優先した環境で録ったものとは思えませんでした。
そこで、手持ちしていた別のDiscを聴いてみました。
4)ビシュコフ指揮 ケルンWDR交響楽団 2007年録音盤
この音源は、オーディオの達人と呼ばれる方に紹介してもらったものです。「怒りの日」では、大編成な合唱が熱唱する様が圧倒的なスケールで迫り、音の明瞭さもありますのでリアリティも抜群です。3つの合唱団で編成した混声合唱の威力が凄まじいです。独唱のクウォリティもさすがの演奏で、素晴らしい録音だと思いました。ただ、この素晴らしい録音も拙宅では原寸大の再生とは言えません。このスケールを再生するには、部屋のボリュームも必要だと感じました。
今回の再生困難?な音源は、システムの再生能力のみならず、再生する部屋の能力や音楽理解の能力?に及ぶ幅広いものだったと思います。大音量の時にハードルが高い音源もあれば、小音量時のリアリティが求められる音源もあったかと思います。ですが、いずれの音源も招かれたオフ会の時に持ち込んで、「やっぱり鳴りませんな~」と言ったら、意地悪おやじと思われてしまうかもしれません。
3/13追記
X1おやじさんからのコメントから、追加で武満徹作曲のノヴェンバー・ステップスを追加しました。
ノヴェンバー・ステップスは武満徹が1967年に作曲した、琵琶、尺八とオーケストラのための音楽で、左側の琵琶とオーケストラ、右側の尺八とオーケストラ、これらが対立する如くに進行する曲です。
作曲者:武満徹の意図は下記とあります。
「オーケストラに対して、琵琶と尺八がさししめす異質の音の領土を対置することで際立たせるべきである」
オーディオでの再生においても、主役の和楽器である琵琶と尺八が左右で対立すると共に、各々のバックにあるオーケストラの音から琵琶と尺八の音が浮かび上がるような再生がしたいものです。言い換えると、バックのオーケストラがホール全体に広がるような音に対し琵琶と尺八の立つ音が際立つ、音像と音場を両立した再生をすることがポイントとなるように思います。
5)小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ 1989年録音盤
琵琶と尺八の立つ音は明解で不満なく聴けます。ですが、バックのオーケストラから浮かび上がるようなとの意味からはもの足りなさを感じました。琵琶と尺八ばかりが印象的なのです。琵琶と尺八の独奏にフォーカスした録音。ちょっと引っかかるので、他の録音も聴いてみたくなりましたので、同じ小澤征爾指揮のトロント交響楽団盤を追加でオーダーしました。
(6)小澤征爾指揮 トロント交響楽団 1967年録音盤
初演から約1ヵ月後に録音されたもの。やはり、こちらの方が琵琶と尺八の独奏楽器と伴奏のオーケストラが平均して録られている録音かと思いました。立つ独奏と広がるオーケストラの狙いは、こちらの方が出ているように感じます。
どちらの録音が好きかは好み次第ですが、同じ指揮者と同じ独奏者でも、録音の仕方では曲のイメージは大きく変わるものだと感じました。
ノヴェンバー・ステップスの理解は、(6)トロント交響楽団盤のライナーノーツ冒頭にある武満徹の11の箇条書きがわかりやすいので、合わせて掲載しておきます。
それにしても、横に広がる音と上下に立つ音の両立の難しさを教えてくれる、サイトウ・キネン盤とトロント交響楽団盤の比較試聴でした。
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この日記の書き方ですと、まるでベルウッドさんが意地悪おやじみたいですよね。大変失礼しました。
意地悪おやじはバズケロさんかな?してやったり!と言う感じで、前日の武勇伝をとても楽しそうに話しておられました。
自分の過去を振り返ってみると、以前のことが思い出されます。
どちらも約10年前、オーディオが加熱し始めたころの話です。
体験1:A氏を2回目に招いた時の話
拙宅の部屋がまだ構造的に低音に弱かった時のことです。重低音がたっぷり入って、音が膨らみやすいCDをお持ちになって、「コレをかけてみて」と言われました。ブンブンに膨らみ響いてしまう低音を聴きながら針のむしろでした。欠点を知りながら、わざとだと思いました。ベルウッドさんもよくご存じのN○Kにいたあの方です。
体験2:B氏を招いた時の話
当時音場再生に凝っていました。響きを部屋中に感じるようなセッティングです。その時に三味線か何かのCDをお持ちになり、「コレをかけてみて」と言われました。当時は音場型にしていたので三味線のはじけるような音はなまって聞こえます。聴き終わった後で、「やっぱり鳴りませんな~」と言われました。
この体験が、日記の最初と最後に書いたことの所以です(笑)
でも鳴らない音源を見つけて、原因をさぐり対策をうって解決していくことが、レベルアップするための秘訣みたいなものですよね。感謝しないといけないのかもしれません。
CSOライブのハイティンク/シカゴ響のマーラー3番は素晴らしい録音だと思います。
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