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オーディオ振り返り1 – 最初の失敗

日記・雑記
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この日記は失敗の記録的な内容になりますが、どんな経過を経て今にたどり着いたのか。にゃんすさんからのリクエストもあったので振り返ってみることにしました。今に至ったサウンドの側面、機材選びの側面、音作りの側面と様々な視点があるのでオーディオに触れた頃からの振り返りとしました。

記憶にある範囲での初めてのオーディオは自宅にあった一体型の家具調ステレオでした。オーディオとは呼ばれずに、ステレオと呼ばれていた気がします。

(メーカーや機種は今となってはわかりませんが、こんな感じでした)

小学生の頃に興味本位で、家にあったレコードを聴いてみたのが最初の音出しだったと思います。レコードをかけているときに動き回ると、針が飛ぶのでシェルの部分に一円玉を置いたりしていました。この頃から弄るのが好きだったのだろうと思います。

小学校も高学年になると自分が聴きたいレコードを聴くようになりました。ビートルズがブームになっていて、おこずかいを貯めては1枚づつレコードを買って、擦り切れるまで何回も何回も聴いていました。

その頃に従兄の影響を受け始めます。東京に住む大学生の従兄の家に行くと自慢のオーディオを聴かせてくれます。スピーカーはジムラン(JBLを当時はそう呼んでいた)のLE8Tをサンスイが箱に入れたスピーカー、アンプはマッキントッシュ、レコードプレーヤーは何だったか?覚えていませんが、マイルス・デイビスなどのモダンジャズを聴かせてくれました。いい音だな~と思い、音楽を味わうのではなく、音に浸っていた記憶があります。

初めて連れて行ってもらった秋葉原にも感激します。試聴室から流れる音にうっとりして、ここでずっと聴いていたいと思いました。だから、1時間半もかけて従兄の家に行っては秋葉原に連れて行ってもらっていました。そんな様子から、お前は“音キチ”だなと言って、読み終わったステレオサウンド誌をくれたのです。憧れの機器がたくさん載っている本をボロボロになるまで眺めていました。今でも覚えているその機器たちは、ジムランのスピーカー、マークレビンソンのアンプ、EMTのレコード・プレーヤーなどです。

ジムラン:パラゴン

マークレビンソン:LNP-2L

EMT927

中学生になるときに、従兄が使っていないアンプとチューナーが一体になったものをくれました。マイクロのレコード・プレーヤーを自分で買い、スピーカーは従兄がフルレンジのダイヤトーンP610ユニットをくれたので、自作で逆オルソン式の箱を作って聴いていました。何もわからずに吸音材を入れたり出したりしていたのですが、中々いい音で鳴っていたと思います。

当時はオーディオブームでしたから、自宅の近くの電気屋さんにもブックシェルフのスピーカーを山積みにしたオーディオ・コーナーがありましたので、よく聴きに行っていました。聴いていたのは、エルトン・ジョンなどポップスベスト10に出てくるようなものや、エマーソン・レイク&パーマーなどのロックが多かったと思います。

(こんなイメージのお店でした)

高校に入る頃に自分でスピーカーを買います。と言いますか、憧れていた海外製品が欲しくて、コーラルのウーファーを単品で買い、秋葉原で売っている箱に入れて、憧れのエレクトロボイスのツィーターと組合せ、ラックスが市販していたネットワークと市販のアッテネータで繋ぎました。

素人の子供がこんな組み合わせで作ったスピーカーはうまく鳴るはずもなく、シャーン!という音だけが鮮烈なシャリシャリの音だったと思います。うるさいと言われて倉庫の中に簡易的に作った部屋にオーディオ部屋をあてがわれました。この時が今までで一番広い部屋でした。20畳以上のスペースがあったと思います。倉庫の中に一人でしたから音量も出し放題でした。でも音はシャリシャリです。最高のオーディオ環境だったのですが、この音に合う音楽はポールモーリアと電子音楽しかなかったようで、同じものばかりを聴いていました。

振り返ってみると、聴きたい音楽に合わせてオーディオをセットするのではなく、自分のオーディオ装置がいい音に聞こえる音楽を聴いていたのです。これが自分のオーディオの記録の中で最初の失敗でした。

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