最近、たまに般若心経を霊前で唱えるようになりました。
色即是空 空即是色・・・
と始まるよく知られたお経です。
その言葉の意味にちょっと興味をひかれると
調べてみたりもするのですが
色即是空はなんとなくわかるのだけれど
空即是色はちょっとわかりにくいな~。。。などと思っていました。
そんな折、先日こんな記事に出会って
へ~と思わされました。
「色即是空」と「空即是色」のビミョウな違い
ttp://blog.livedoor.jp/ima_kokoniaru_jibun/archives/1562273.html
興味深かったので、一部引用させていただきます。
砂糖は砂糖分子そのものが「甘い」わけではありません。砂糖の分子の形が、人間の大脳皮質の中の「甘い」と感じる部分を刺激するスイッチ(舌にある受け入れ器官です)にピタッと当てはまる形になってるからなんだそうです。
(中略)
「砂糖が甘い」と思っているのは人間の脳が作り出しているだけで、砂糖分子そのものに甘みがくっついているわけではないのです。
同じように、色や匂い、音も含めて全て、外界には単に「光の波長や匂い分子、空気の波」があるだけです。そこから「綺麗」とか「汚い」、「いい香り」「臭い」「メロディ」「騒音」などの「色(しき)」に変換しているのは全て人間の脳の中で起きている出来事だということです。
前フリがいつもにも増して長くなってしまいましたが
今日はtakhag さんがレビューをお書きになったのに触発されましての
アルバムレビューであります。
takhag さんがご指摘の「究極の私小説アルバム」というのは
まったく同感でして、私なりにそのあたりを敷衍してみたいと
思います。
数日前、NHKのニュースでこのアルバムとそれに関連した展覧会が
とりあげられていました。
その際、インタビューにこたえて、
坂本さんがだいたい次のようなことをおっしゃってました。
今回のアルバムは、音のそのものを感じてほしい。
音のお風呂に入っているように音を浴びてほしい。
件の展覧会では、このアルバムが6つのSPから流れてくるスペースが
設けられていて、まさに音を体感できるようにしつらえられていました。
というわけで、私も虚心坦懐に音を感じようと
アルバムを聞いてみたのですが
なんだか懐かしい感じにとらわれてしまった
というのが第一印象でした。。。
音を聞き進むにしたがって、
その懐かしさの原因がわかってきました。
それは、たとえばこのシンセの音色は
教授の以前のアルバムで聞いたことがあるぞ。。。
という感覚(記憶)からくるものだったのです。
まあ、同じ人が作っているのだからそういうことは
多かれ少なかれあることでしょうが
今作はとりわけそういう印象を強く受けました。
事実、アナログシンセを多用したことが
このアルバムのご本人の解説からうかがわれました。
だから音の回顧録的な意匠をまとったこの新作は
ある意味「究極の私小説アルバム」ともいえるわけで
いかにも教授らしい私小説ともいえるな~と思ったのです。
ただそういった懐かしい音色は
われわれの記憶を無視するかのように
アットランダムに聞こえてくるのですね。
つまり懐メロ的にそういう音色の選択が行われているのではなく
新しい表現にフィットする音色がたまたまそういうものだった
という趣が感じられたのです。
空即是色なんですよね。
そういう懐かしさ(色)をこえた音そのものを感じてくれ
と教授は言っているのではないか。。。
むずかしいことのように今の私には思えます。。。
それは私の個人的な夢なのかもしれないし
ひょっとすると坂本龍一という音楽家の夢なのかもしれない。。。
そんなことを最後にふとつぶやきたくなった
アルバムレビューでございました。
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