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年譜にみるバンジャマン・ゴダールの音楽

日記・雑記
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                     2019年04月24日

Orisukeさんのご紹介で、
クリストヤニス&コーエンによる歌曲集に出会って以来
なんだか気になる存在として、ちょくちょく聞き続けてきた
バンジャマン・ゴダールの音楽。

だんだん興味が同時代の音楽との比較に移るようになって
彼の作品年譜なども覗き見ることも増えてきました。
そこで、これからおそらく数回に分けて
自分なりに見聞きしたことなども織り交ぜながら
彼の作品を現在聞くことのできる音源に絞って
器楽曲を中心に振り返っていこうかと思っています。

バンジャマン・ルイ・ポール・ゴダール(Benjamin Louis Paul Godard)は
1849年8月18日 パリに生まれます。
「散歩R(21-2) 作曲家バンジャマン・ゴダールの家 Maison de compositeur
Benjamin Godard(9区サン=ジョルジュ地区)」
http://promescargot.blogspot.com/2016/03/21-2-maison-de-compositeur-benjamin.html
によれば、パリにその生家はまだ残っていて、
「裕福なユダヤ系商人の家に生まれ、親はこの家の他に
パリ北西郊外のタヴェルニー(Taverny)に広大な屋敷を所有し、
父親はその土地の町長だったこともある」とのこと。
いきなり脱線してしまいますが、
「この場所には大革命前の1787年頃にフリーメイスンの秘教的団体の
『レザミ・レユニ』(Les Amis réunis)の施設があった」という記述もあって、
この団体のメンバーには、あのロベスピエールもいたということなので、
いろいろミステリアスな想像をしてしまいます。。。

ここで少し同時代的な整理をしておきましょう。
ゴダールを語るうえで、外せない2人の影響を受けた作曲家である
メンデルスゾーンとシューマンについて
メンデルスゾーンは1847年、つまりゴダールが生まれる2年前に
亡くなっています。
もう一人のシューマンも1856年に亡くなっています。
またブラームスは1833年生まれですから、16歳差です。
以下、サン=サーンスが1835年生まれで、14歳差
フランクはさらに年上で1822年生まれで、27歳差
フォーレは1845年生まれで、4歳差
だんだん意外な人物名が登場しますが
サラサーテは1844年生まれで、5歳差
マスネは1842年生まれで、7歳差
そして先日パグ太郎さんがお書きになっていた
ショーソンは1855年生まれで、6歳年下
イザイが1858年生まれで、9歳年下
これくらいを把握しておけばよいでしょうか。。。

1863年(14歳)、ゴダールはパリ音楽院に入学、
ヴァイオリンをヴュータンに、作曲をルベルに師事します。
1857年には、サラサーテはパリ音楽院在学中で、
13歳でヴァイオリン科の一等賞を得たとの記述があるので、
この先輩ヴァイオリニストの存在は知っていたかもしれません。
1864年には、サン=サーンスがサラサーテのために書いた
「序奏とロンド・カプリチオーソ」が
サラサーテの独奏、サン=サーンスの指揮で演奏されます。
この曲はサン=サーンスの曲では現在でも人気の高い曲ですが、
発表当時から好評を博していたので、
ゴダールもこの曲の存在は知らなかったわけではありますまい。

ここからはまったくの私の勘ですが、
ゴダールにとって、ヴュータンの影響は大きかったのではないか。
アンリ・ヴュータンは1820年ベルギー生まれ
1860年代には、すでに5曲のヴァイオリン協奏曲を書き
演奏家としても、パリでの名声をじゅうぶん得ていました。
聞いてみると、ゴダールの作風と共通するところが多々あります。
ウィキペディアはなかなかいいことを書いてくれていて
「独奏楽器とオーケストラのシンフォニックな一体感や
音色の対比を追究した作品に仕上げられ、
メンデルスゾーンやウェーバー、リストを思わせる
楽章の結合や形式の実験など、作曲技法でも創意を示している。」
と、ヴュータンの作風を評しています。
もう少しウィキペディアから引用します。
「この意味で、同時代の演奏家による協奏曲にありがちな、
独奏楽器がオーケストラをしたがえて超絶技巧を誇示する作例とは、
ヴュータンは一線を画している。」
う~ん、なるほど。。。
とすれば、サラサーテ・サン=サーンスコンビの成功を
16歳のゴダール少年がどのように見ていたのかも、
ちょっと推し量れそうです。。。
この時代以降、彼はヴュータンに弟子として同行して
2度ドイツを訪れているそうなので、
ヴュータンも彼に目をかけていたのでしょう。
ただ1871年にヴュータンはベルギーに帰国してしまいます。
そしてベルギーでイザイを見出します。。。

さてこのヴュータンの弟子時代あたりに
ゴダールはヴァイオリンソナタを4作残しています。
1番(1866年)2番(1867年)3番(1869年)4番(1872年)が
それです。
これらは現在音源があって、すべて聞くことができます。
ニコラ・ドートリクールのヴァイオリンによるワールドプレミアの
作品集です。

Nicolas Dautricourt and Dana Ciocarli
「Benjamin Godard: Intégrale des Sonates pour violon et piano」
https://www.amazon.co.jp/dp/B01C7YLGKO

私が最初にこのアルバムを聞いた時に思い浮かべた作曲家は
実は意外な人物だったのですが、それはまた後に譲るとして
ヴュータン以外っていうことでいえば
やはり先に申し上げたメンデルスゾーンとシューマンの影響は
大いに感じるところです。
このアルバムの演奏も素晴らしい出来栄えで、
ゴダールのセンスの良さ、楽曲の持つ瑞々しさを
十二分に伝えてくれています!
たぶん彼の楽曲のアルバムでは最も私がよく聞いているものです。

ちょっとくたびれてきましたので、この続きはまたいつかということで
今夜はここまでにしておきます。

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