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春待ち浪漫2020:リッカルド・ミナーシ篇

日記・雑記
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                     2020年03月28日

アースフィルター+サテライトアースの導入で
以前聞いていてイマイチだった音源が
ブラッシュアップされて聞こえるという
嬉しい体験が私にもありました。
そのひとつとして、いちばんありがたかったのが
これでした。

リッカルド・ミナーシ(ヴァイオリン)
マクシム・エメリャニチェフ(フォルテピアノ)
フェデリコ・トッファーノ(チェロ)による
ドイツ・ハルモニア・ムンディでの
ハイドンのピアノトリオ4曲を収録したアルバムです。
「ハンガリー(ジプシー)風」の第三楽章の
キラキラした疾走感たるや
ハイドン好きの方でなくても
一度体験してみていただきたい演奏で
エディティングはケン・ヨシダが担当。

そのアルバムで透明感あふれる瑞々しいヴァイオリンを
聞かせてくれていた
リッカルド・ミナーシは最近、指揮者として頭角を現しつつあります。
かつてのジョルディ・サヴァールの下での
有能なソリスト兼コンサートマスターというイメージからは
脱却したんじゃないか、そう思わされたのが
最新作の「モーツァルト:三大交響曲集」です。
39番・40番・41番の、いわゆる「アーノンクール様式」での収録です。

この3曲の収録というと思い出すのが
昨春、日記でご紹介したマチュー・ヘルツォークのアルバムなんですが
そのときにOrisukeさんからいただいたレスの中で
ヘルツォークのコメントが引用されていまして
「ワルターとアーノンクールを調和させるんだ!」
というのが、彼の目標としてあったのだそうです。
その言葉に対する当時の私の理解は、
モダン楽器による古典的な演奏の代表としてのワルターと
古楽器によるモダン(斬新)な演奏の代表としてのアーノンクールとを
架橋するようなアプローチなのかなといったところだったのですが
それは豊かさとシャープさとの両立と
言い換えてもよかったのかもしれません。

ただし、このアプローチ自体、言うほど容易いものではないと思いますし、
それを承知の上で申し上げると
結果的に、モダン楽器でのヘルツォークの演奏は
ハイスピードでモーツァルトのシンフォニーを駆け抜けてくれた
という点では、斬新だったように思うのですが
あのワルターのゆったりした豊かな響きとノリに
アプローチできていたかというと、
やや食い足りなかったかな~という気もしていました。

そういう観点からすると、今作のミナーシのアプローチは、
ヘルツォークと同じような問題意識を共有しながら、
どちらかといえばワルター寄り(つまりオケの豊かな響きを活かす)から
シャープな表現を目指しているように感じられました。
そのため、演奏のテンポは、かなり意図的に改変され
ゆったり聞かせるところは思いきってゆったりと
たたみかけるところはシャープに切り込むという
メリハリがつけられた演奏になっていると思われました。

私にとっては、この両者のアプローチの対照は
とても興味深いものとして映りました。
まずは一般的な感慨として
現代においても、モーツァルトの音楽(シンフォニー)は
これだけ豊かな解釈をうみだす素材なのだな~ということですね。
加えて申し上げれば、
とりわけ若い世代の音楽家たちの
理想的なモーツァルトのシンフォニーのイメージには
シャープさと豊かさの両立というものがあるのだ
ということを、改めて強く印象づけられたということです。
このあたりの様子は(他の作曲家の作品も含めて)
カルテットのような室内楽においても共通してみられる現象であることは
このコミュでも、すでにパグ太郎さんやOrisukeさんが
折にふれて指摘されてきました。

ただ、かなりうがった見方ですが
こうしたイメージはリスナー側の欲望でもあり
もっと言えば、オーディオファイルの欲望を反映しているような
気がしたのも事実で、我ながら少し反省した点でもあります。
思い過ごしであればよいのですが、
こうした作文自体がマニアックすぎて、
クラシック音楽の将来にとって
本当によいことなのかな~と、ふと素朴に思ってしまったのです。。。

閑話休題
ワルターとアーノンクールの調和という難題をさておいても
今作のミナーシのモーツァルトのシンフォニーは
力感あふれるものになっていて
単純に、聞いていて心躍る演奏だと思います。
古楽器の感覚やオペラの指揮の抑揚などといった
彼のキャリアに由来する美点も感じますし
あんまりアクロバティックな感じはしないと思います。
その意味では、この水準にまとめあげた力量は
じゅうぶん評価されて然るべきなんじゃないでしょうか。

また余談です。。。
ミナーシの名前について、ひとつ疑問があるのです。
彼の活動初期のアルバムのクレジットには
Riccardo Masahide Minasiと
明らかに日本名が記されていたのですが
係累に日本人がおられるのかな~と。。。
御母上様でしょうか?
もしそうだとすれば、
このモーツァルトのシンフォニーの
スケールの大きさにもかかわらず
繊細に一音一音に心配りを忘れない優美さは
「いとなまめかし」と言ってみたくなる
音の気配もたたえているような気がしたのでした。。。

最後になりましたが、
ローマ生まれのミナーシが
ローマの守護神ユピテルの名を戴いたシンフォニーを
イタリアの危機のこの時期にリリースしたのは
単なる偶然でしょうが、
おしゃべり好きな彼の地の人々が
夕刻からワイワイ愉しむ姿を
なんとなく羨ましく思っていた私のような者からすると
そういう彼らの姿が
早く見られるよう祈ってやまない
そんな今日この頃です。

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