「生は水もの」だなといつも思いますが、今回は復習がキツいです。これまで国内で聴いた最高のコンサートとオーディオ再生との比較なんてしたくなくなりますね。どんなに足掻いたところで歯が立ちません。ですが、やりたくないことも記録ですから、しぶしぶながらやっておくことにします。
比較元は、チェコ・フィル2023来日みなとみらい公演です。
指揮:セミヨン・ビシュコフ
オーケストラ:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
<演奏曲>
・ドヴォルジャーク:交響曲第8番 ト長調 Op.88 B.163
・ドヴォルジャーク:交響曲第9番 ホ短調 Op.95 B.178 《新世界より》
<着座位置>
・1階席 5列センター
<比較音源>
比較に当たっては、最初から歯が立たないと感じていたので、手持ちの音源から目ぼしいものを聴き直して対抗馬を決めました。
ドヴォルジャーク:交響曲第8番
ブロムシュテット&シュターツカペレ・ドレスデン <タワーレコード限定> SACD
ドヴォルジャーク:交響曲第9番
ヤンソンス&コンセルトヘボウ管弦楽団 Rco Live SACD
コンサートの感想のおさらい と オーディオとの比較
ドヴォルジャーク:交響曲第8番
<コンサートのおさらい>
・第1楽章冒頭のメロディが流れ始めると共に感慨深い思いがわき上がってきて涙が出そうになった
・弦の音が厚い。こんな分厚い弦の響きは聴いたことがないという印象。この曲の郷愁感にぴったりなサウンド
・第3楽章では、再度こみ上げてくるようなメロディが流れて危険な状態に
・第4楽章で、高らかにファンファーレが鳴り響いた後は、力がわき上がるように盛り上がったかと思うや、すっと落ち着き、いいように揺さぶられていた
<オーディオとの比較>
・第1楽章通して感慨深い思いがわき上がって来ない
・生の弦の厚みが感じられない
・第3楽章では、感慨深い思いがわき上がって来たものの、生を聴いた時とはかなり違う
・第4楽章でのファンファーレには期待感を抱いたもののその後の揺さぶりに心揺れることはなかった
◇この感想では、オーディオがまるでダメとなってしまうが少しだけ弁明しておくと、オーケストラ演奏の雰囲気は充分オーディオでも味わえると感じた。比較しなければ、第1楽章から第4楽章まで通しで楽しめるが、いかんせん1975年録音では音が古い。演奏、立体感、臨場感のバランスが手持ちの音源の中では最良と感じたのだが、歪やSNの低さを感じてしまう。ストリーミングで、新しい録音でいい音源がないかを探したが見つけることが出来なかった。よい音源を見つけることが今後の課題となる。
ドヴォルジャーク:交響曲第9番《新世界より》
<コンサートのおさらい>
・8番でテンションを使い果たした感もあり冷静な気持ちで聴いていた
・オーディオ再生的には、遥かに第9番の方が面白い
・最終楽章では、迫るように盛り上がる中でトランペットとホルンが鳴り響く
・みなとみらいホールは、ホルンの響きがいいですね。左サイドに回り込んだ響きが、演奏の大きさを引き立てる
・盛り上げたかと思うと静かに聴かせ、最後は豪快な総奏で幕を閉じた
<オーディオとの比較>
・よし聴こうと言うテンションは、生演奏の方が遥かに高い
・オーディオ再生的な面白さは感じる
・最終楽章冒頭での、トランペットとホルンが鳴り響く場面には期待感が高まる
・オーディオ的に第4楽章は面白い
・第4楽章だけで言えば、生と比較してオーディオも楽しめた(オーディオ的快感度が高い楽章)
◇比較音源は、ライブ録音であり「音の明瞭度」は低いが、会場の暗騒音がたっぷりと入っていてその場にいるような雰囲気が味わえる。鮮度とは、「生音を目の前で聴くような鮮度」と「その場にワープするような鮮度」があると感じた。この音源のよいところは後者の「臨場感の鮮度」だ。他の音源と比較しても著しい臨場感が味わえる、とてもよい録音だと感じた。今後の課題としては、「臨場感」と「実在感」「スケール感」が両立するような音源を見つけることとなる。
以上、生との差を音源のせいにする形となってしまいましたが、「臨場感」と「実在感」「スケール感」が両立する音源があるのも事実です。オーディオ的な快感を味わえる音源を見つけるのは比較的容易ですが、情緒的なオーケストラ曲を感動再生するための音源探しのハードルは高いですね。そんな「宝さがし」もオーディオの楽しみと感じた復習となりました。
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ヒジヤンさん、こんにちは。
あくまで私的な持論なのですが、コンサートとオーディオでは音楽を体験する方向性に大きな違いがあると考えております。
細かい話はここでは省略いたしますが、コンサートで得られる感動をオーディオに求めることは出来ませんし、オーディオによって得られる快感をコンサートに求めても無理なことのように思います。
まあ、この辺りは異論のあり余るところでしょうから、この場では深くは追求なさらないでくださいね(笑)
で、本題は私の私的な「推し盤」です。
8番については旧EMI(現ワーナー)のセル/クリーブランドです。
ヒジヤンさんが今回あげられた盤よりも録音は古いのですが(汗)
オーディオ的快感というよりは演奏の完成度と込められた情感が魅力だと感じる盤ですね。
9番はDGのジュリーニ/シカゴでしょうか?
若い時はアクセル全開でガンガン行くマゼール/ベルリン放送を好んで聴いていたりもしましたが、結局、「非凡な中庸」な演奏に回帰しました。
これも新しくありませんね(笑)
所持している盤ではありませんから、お勧めはしませんがクーベリック/チェコフィルのライブは良さそうです。
ノイマン/チェコフィルだと7・8・9とまとめて聴けるのですけれども。
癖が強いですし、ライブの関係で一部演奏が緩みがちなところはありますが、チェリビダッケ/ミュンヘンはその癖に嵌まると堪らない演奏だったりします。
fukuさん、コメントありがとうございます。
持論はいろいろあってよいかと思います。事実判断なら正誤もあるでしょうが、価値判断は千差万別ですからね。もっと言えば、好みなど皆が同じだったら気持ち悪いです。
さて、fukuさんの持論を書き込みいただきましたので、自分の考えも書き込んでおきますね。
自分の考えでは、音楽を聴いて、「ああ、いいな~」と感じることは、生であろうが、オーディオであろうが、等価に比較出来ると思っています。生と同じ音にすることではないです。オーディオはデフォルメも必要と考えています。それぞれの特性を活かしながら聴くもの(自分)を満足させる指標では、充分対比が可能と判断しています。
<これまでの振り返り>
・生は水もので、「ああ、よかった」と思う時と、「つまらなかった」と思うときの幅が大きいです。
・オーディオは比較的安定していますね。
・最高の生はオーディオとは比べ物にならないくらいにいいですし、最低の生はオーディオの方がよほどいいです。
こんな前提で、今は定年後に時間がたっぷりと出来たときのことを想定して準備をしています。自分が幼少の頃から続いている一番の趣味はオーディオだからです。ある再生レベルに到達すると、「あがり」になるのが普通ですね。でも自分は可能な限り続けていきたいと思っているのです。そのためには、純粋に音楽を楽しむための素養も育てていかなくてはなりません。出来るだけ生とオーディオの両輪で楽しんでいきますが、生を聴くために出かけていくことも段々と出来なくなって来ますよね。
<目的>
・生涯、オーディオ趣味の情熱を絶やさないようにすること
・感動体験を重ねて、同じ音・同じ音楽に触れても、より感動できるようにすること
・好きな曲のレパートリーを増やすこと
・想い出を沢山作ること
そのための、コンサート巡りであり、生とオーディオの比較ですので暖かく見守ってください。このテーマについては、追々まとめていこうと考えています。
また、fukuさんがお好きなドヴォ8と9のご紹介をありがとうございます。自分も手持に10枚くらいづつはありますが、中々決定盤が定まらないでいます。ストリーミングでも聴いてみましたが、「これだ!」というものに巡り合えていません。ご紹介いただいた音源も今一度聴いてみますね。