焦るかの如くに日記のアップをしていますが、もう少し経つとくさくさモードに入らなければならなくなるためのダッシュです。
先に書きました、言いたい放題のMt.T2来訪記(こちらも言いたい放題)の前編、後編でしたが、そこは長年の間柄です。しっかりと置き土産を残してくれました。
①:「コーラスの響きがリスナーの前までで止まる場合と、頭の後ろまで回り込む場合がある」指摘と対策
前回訪問時には、「ポップスの響きが頭の後ろまで回り込み響き過ぎる」でした。今回は、「コーラスの響きが後ろまで回り込まないことがある」です。相反することを言いたい放題よく言ってくれますよね。
お公家さまがお帰りになった後に、指摘された音源を聴き直してみると、確かに「コーラスの響きが後ろまで回り込まない部分がありました」これは何とかしたくなります。
結論的には対策できました。
原因としては、左側のコーナーに設置したウレタンのクッション(吸音材)が響きの回り込みを遮っていたようです。耳位置の高さの少し下まで下げたところ、コーラスの響きはどの部分も頭の後ろまで回り込むようになりました。(クッションを15cmほど下げた)
反面として、「ポップスの響きが頭の後ろまで回り込み響き過ぎる」が戻ってしまっては本末転倒です。このネガティブな要素も、いろいろな音源で確認した結果問題なしです。むしろ、以前よりよくなった感覚でした。
「塩梅が大事!」まさにこれですね。
大抵の場合は、やり過ぎてしまうのが常ですが早々に発見できてよかったです。
②:最新の取り組みについての検証が出来たこと(アース線にフェライトコア)
この取り組みは、OTOTEN2024で学んだことの応用でした。今回のオフ会を前に、音の再確認をしている中で「やり過ぎていた」ことに気づきます。そこで、対策は「フェライト コアを2個外す」でした。この使用前/使用後を確認してもらいました。
しかも左右アンバランスのフェライトコアの設置としていましたので、この点も確認したかったのです。当日の会話から、
ヒジ:「ウチは左右の壁が、片側はクローゼットで、反対側は窓なので、左右の音が違います」「右に比べて、左の音が強い」
テツ:「ウチも片側が窓なので、左右の音が違う」
ヒジ:「アース線にフェライトコアを付けると、音が強く感じるので、右側だけフェライトコアを付けることにしました」
テツ:「左右に付けると、左の音が強くなりすぎるので、左右アンバランス設置でいいと思った」
「鑑賞用として、柔らかめに広がりがある音狙いの調整」「左右の音の強さを、アンバランスな対策で補う」この2点について他人の耳でも検証出来たことはありがたかったです。(確認したフェライトコアは下記の2か所です)
③:P&G konadeの効果と調整方法についての検証が出来たこと
この内容は、言いたい放題の後編で詳しく書きましたので、ここでは要約とします。
・テツが「ヴァイオリンの音が、オーディオで聴く音のイメージと違う」と言い出した
・原因の仮説であるP&Gkonadeの実証実験を行った
・双方の好みは異なるものの、互いの好みに調整できることがわかった
④:思想と感じ方と評価の関係性について
言いたい放題オフ会とTIAS回りと、2日間ほどがっつりと対話を重ねる中で、Mt.T2さんのオーディオ思想の根底にあること、「CD、FILE、レコード、テープと多様なメディアに取り組む中で、レコードの優位性思想」をお持ちのように感じました。この思想が様々な考えや評価に影響しているようです。
人の脳の中を探っても仕方がないのですが、自分の頭の中を探るのに参考になります。
「人は基本的な思想に沿ってものを考えるだけでなく、思想に沿って感じるものである」
そんな風に思えました。これは皆同様であると。
カントは純粋理性批判の中で、「そう思って見るから、そう見える」と述べています。オーディオでも、「そう思って聴くから、そう聴こえる」と言うことはたびたび感じることです。もしそうであれば、「思想は、聴こえ方に作用する」ということになりますね。もしかすると、オーディオでの言い合いや喧嘩になることが絶えないのは、この影響があるかもしれないと思いました。何もオーディオへの思想にこだわりのない、家人などの方が純粋に音を捉えられるのは、このような理由があるのかもしれません。
果たして自分はどんなオーディオ思想を持っているのでしょうか?意識上にあることは知ることが出来るのですが、無意識下にあることは自分にはわからないのです。それを意識に引き上げるために、他人から学べることも多いと感じた次第です。
⑤ 日記コメントでの、「やはりどこか高域が寂しく感じるのと」
これに反応しました。TIASでのエレクトリックブースの左サイドより右サイドの方が音がよく感じたことが思いだされます。
この点についてのあたりがついたので、明日のオフ会でゲストと共に確認してみようと思います。
以上
コメント ※編集/削除は管理者のみ
ヒジヤンの課題の明確化~対策に至る手法と成果を得るノウハウの凄さには、敬服するばかりです・・・ハハ~<(_ _)>
もう、ホントに凄いなあ!と・・・近ければすぐにでも聞きに行くところですが・・・恐らく、感じ方の違いはあれど、これまでのお付き合いから、充分な成果が得られているであろうことは、想像できます・・・(^^;
その辺りも含め、新たな訪問者が、どのように感じられるか・・・を、楽しみにしています・・・(^^;
一方・・・「④:思想と感じ方と評価の関係性について」・・・その論旨には、全く異論はなく、σ(^^)私も同じように思います・・・(^^;
が、ポンコツ耳になってもラベリングが嫌いなσ(^^)私自身の補足として・・・
> Mt.T2さんのオーディオ思想の根底にあること、「CD、FILE、レコード、テープと多様なメディアに取り組む中で、レコードの優位性思想」をお持ちのよう
これは、あくまでσ(^^)私の耳馴染みの高い年代のJazz,Rock,Popsに於いて、プレスマスター相当のテープ(録音マスターは別)、テストプレス盤やプロモ盤のレコードまで含め、現代のカートリッジ、フォノイコ等、再生環境も十分な状態で聞いた場合、作品として受ける印象は、レコード再生が、オリジナリティが高く、演奏の印象もインパクトが強いと思っている・・・と言うエクスキューズを入れたくなります・・・(爆
クラシックも、オリジナルがレコードの年代の録音の場合は、同様の印象ですが・・・そもそも耳馴染みが無く、門外漢ゆえ、なんとも言い切れませんし・・・
もちろん、録音がデジタルになってから現代に至る作品については、どの音楽ジャンルでも、この思想?の対象外ですし・・・(汗
結局は・・・音源次第、再生環境次第で、ケースバイケース・・・評価軸と言うか、物差しは変えますので・・・このラベリングは、限定的ですよと・・・(大爆
「オーディオ思想」と言う言葉にも抵抗がありますが・・・敢えて言うなら・・・音楽作品(メディア)の再生から受けるインパクトの大きさは、入手性も鑑み、超上流のプレスマスターを除き、レコード時代のプレスの若い盤で聞く印象が、最も強い・・・と言う考えは持っているので・・・現代の新しい作品を聞く場合も、まずはその印象を軸にして聞いている・・・ってことまで含めれば、これを「レコードの優位性思想」と言えるかも知れませんね・・・(滝汗
Mt.T2さん、コメントありがとうございます。
置き土産を沢山置いて行ってくれて、またか~と思う気持ちと、ありがたいご指摘と思う気持ちが同居しているというのが正直なところです。
ですが、20年来のやり取りなので、なんだかんだと言いながら客観的な感想として信頼しています。「自分が聴く自分のオーディオサウンド」「他人が聴く自分のオーディオサウンド」があるように、「自分から見た自分」「他人から見た自分」もありますね。
今日は前半戦で自宅オフ会の後で、後半戦はコンサートに行ってきました。もうヘロヘロです。でなんですが、前半戦のオフ会の中で「高域がさびしい対策」をゲストにも聴いてもらいました。感想は、「何も変わらない」でした(汗)自分が聴くと結構変わるんですねどね。まあ、こんなものなのかなと。クラオタの方でしたので、このような点にアンテナが立っていないのかもしれないです。
今日はあたり付で、夏休みに「高域がさびしい対策」について取り組んでみようと思います。試してみたいことが山盛りなので(笑)
ちなみに試したのは下記です。テツはどこに何をやったかわかるよね。