2019年05月11日
パリの夜気に初めて響くシューマンやブラームス。
それらドイツロマン派の室内楽を19世紀の中頃に聞いた少年が
いったい何を追い求めていったのか?。。。
そんなことを考えながら、次なる展開を模索していた私ですが
今回は、3つの弦楽四重奏曲の収録された
エリゼ四重奏団のアルバムのライナーノーツのご紹介を中心に
振り返っていけたら、と思っています。
「Godard: Les 3 quatuors à cordes」
https://www.youtube.com/watch?v=ZZ56YrDvl2E&list=OLAK5uy_kc-JzypuM-I7Y4aaTpEayJv7_QDPgvDgA
ゴダールは3作の弦楽四重奏曲を残しています。
第1番が1876年、第2番が1877年、第3番が1892~93年に
作曲されています。
やはり注目すべきは、これらの書かれた時期でして
先進的な取り組みであったことはまちがいありません。
つまり前回のヴァイオリンソナタについて述べたのと似たような状況が
当時のフランス音楽界にはありました。
ゴダール以前に弦楽四重奏曲を書いていたのは
主だったところでは、やはりアルカンとラロぐらいで各1曲。
フランクが1890年、サン=サーンスが1899年と1918年
フォーレは1918年といったところでした。
まったく同じ構図です。。。
ですが、ここには若干の注釈が必要で
弦楽四重奏という形式の問題もあるのかなということです。
フランク、サン=サーンス、フォーレはいずれも
鍵盤奏者(もっと言えばオルガン奏者)から出発していることもあり
弦楽四重奏への関心がもうひとつであったということは
否めないと思われます。
一方、ゴダールは、幼年時からドイツ人ヴァイオリニストの薫陶を受け
徐々にヴァイオリニストとしての名声を勝ち得ていく。。。
意外に、このキャリアの違いは大きかったのかな~と
私は思っています。
さて、エリゼ四重奏団のアルバムです。
これもヴァイオリンソナタと同様、ワールドプレミアの作品です。
このアルバムのライナーノーツを書いているのは
ジャック・チャムケルテン(Jacques Tchamkerten)
(以下J.T.と略します)。
彼はスイス出身の音楽学者、オルガン奏者です。
この文章は興味深い書き出しで始まります。
シャブリエとゴダールの想像上の対話ということで
ゴダール:「あなたがこんなに遅れて音楽家になったのは残念だ」
シャブリエ:「あなたが音楽家になるのが早すぎたのは、さらに残念です」
ドビュッシーやラヴェルに先駆けて、近代フランス音楽の興隆に
大きく貢献したといわれるシャブリエですが
前半生はお役人であったため、作曲家としての活動期間は短く
またゴダールとほぼ同じ時期(1894年)に亡くなっています。
しかし、後世の評価は大きく違ってしまった2人。。。
ここでいきなり核心にふれることになりそうなのですが
このちがいは、ワーグナーに対する2人の態度のちがいだったことを
J.T.は述べています。
すなわちシャブリエはワグネリアンから脱しようとして
新境地を開いたのに対し
ゴダールは端からワーグナーを排除したところで音楽を作っていた
ということです。。。
この当時、進歩的な音楽家であれば、
ワーグナーを無視して音楽は作れなかったのに、
ゴダールはその才能の特質ゆえなのか
または自身の作品に対する批判的な判断が
決定的に欠如していたがゆえなのか
そういう道を歩んでしまったと、J.T.は手厳しいです。。。
1890年の(ゴダールのオペラで唯一今録音として聞ける)「ダンテ」
の批評を引用して、それは当時の世評とも一致するものであったことを
J.T.は例証しています。
そのくわしい内容は割愛しますが、経済的苦境にあっても
ゴダールが自身の夢を追求し、嬉々としていたというような記述です。。。
言わずもがなですが、ゴダールの出自を考えれば
ワーグナーに対する距離感はやむを得なかったのかな~
という気もしますし、J.T.も、そして私もそう思うのですが
何より室内楽のフィールドでは、やはり彼にとって
シューマンを超える存在はあり得なかったのだと思います。
そして近年のゴダール再評価(とまでいえるかどうかわかりませんが)
いちおう彼の室内楽作品が録音されるようになった状況は
後世の不当な評価がようやく払拭されつつあるからだというのが
J.T.の立場です。
そんな彼はゴダールのソナタ形式へのアプローチを評価しています。
そしてそれは、なにゆえゴダールはシューマンに心酔したのか
という問題と密接にリンクしています。
これは相当にロマン派的な問題が絡んでいました。
古典派によって完成されたソナタ形式に
ある種の創意工夫や「幻想(fantasy)」を織り込んでいくときに生じる
コンフリクトをあいまいに処理する、その手法の点で
ゴダールはシューマンに魅力を感じていたのではないかということです。
具体的にいえば、それはいわゆる「再現部」の
思い切った省略や置き換えなどであったと、J.T.
確かに他でもシューマンの魅力として、こんなことが語られています。
ウィキペディアが、門馬直美さんの記述を引用して述べている
「古典的な伝統に従いながらも自由さを見せる構成の中に、
巧妙な対位法がシューマンの幻想の広がりを妨げることなく
織り込まれている」
なんていうのは、同趣のものではないかと思います。
さてそんなJ.T.がゴダールの弦楽四重奏曲のなかで最も評価しているのは
第2番の第4楽章です。
私も3作の弦楽四重奏曲のなかでは、第2番がいちばん好きですし
ゴダールらしさを感じます。
J.T.も「最も彼のロマンティック(ロマン派的?)なインスピレーションを
感じる」と述べています。
歴史的文脈を追いつつ書き進めてきた
このゴダールをめぐる日記ですが
そうはいっても、第2番カルテットなどを聞いていると
そういう文脈を外して聞けば、とてもいい曲だし
(平凡すぎる結論ですが)そう聞いてもらえれば、
ゴダール自身も喜んでくれるかな~
そんな感想に行きついた私でした。。。
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