2021年05月31日
ここ最近1か月ほどのうちにリリースされた新譜のうち
気になったものについて所感を書き残しておこうと思い
前回は、ロンドー『メランコリー・グレース』をとりあげました。
続いて今日とりあげるのは、
アリーナ・イブラギモヴァ『パガニーニ:24のカプリス Op.1』です。https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDA68366
ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲での
パフォーマンスに圧倒され
かと思えば、ルクーのヴァイオリン・ソナタを再発見したときは
しみじみとした叙情を与えてくれた彼女のヴァイオリン。
今回は、いわゆる超絶技巧をヴァイオリニストに要求する作品で
Hyperion Recordsからの提案が以前からあったようですが
彼女は、スケジュールの都合上、作品に対峙する時間が無く
先送りが続いていたそうで、
この度、ようやく録音の運びとなった模様です。
聞いた第一印象は、快活な演奏だな~ということでした。
確かに技巧的に難しそうなのは素人の私でもわかります。
でもこれは彼女自身も述べているのですが、
オペラのワンシーンで
恋人たちが他愛のないかけあいをしているかのような
ちょっと子供じみた、クスッと微笑んでしまうぐらいの
ユーモラスな雰囲気が、この作品には全体的にあるということで
それはもちろん練習や準備は周到に進めたでしょうが
演奏自体を愉しんでいるのが伝わってきました。
ただあんまりゴリゴリと技巧を押し出すばかりでは芸がないし、
だいいちそういう演奏では1時間45分くらいの長丁場を
もたせることはできないでしょう。。。
そういう意味では、音量・音色の変化、
テンポの上げ下げや間合いのとりかたなどに
ずいぶん工夫している感じも受けます。
飽きずに聞けるし、愉快な後味が残ります。
そんな彼女の演奏を聞いていると
どうしても思い出してしまうある人がいました。
私はパガニーニというと、この人のことをついつい想起してしまうのです。
それはイヴリー・ギトリスのことです。
彼が亡くなって、やがて半年がたとうとしていますが
彼もまたこの作品を録音しています。
でもかなり妙な録音なのです。。。
音程が全体的に少し高いのです。
発売元が録音には問題ないとわざわざ断っているし
彼のことだから、なにか意図的なものなんでしょう。
あえて憶測すれば、音程を上げることで
ロマ的な感じが高まっているかもしれません。
そういう点を除けば、彼の演奏も快活で
イブラギモヴァの演奏は、彼のものと通底する印象を持ちました。
そんなこともあって、彼の自叙伝『魂と弦』を読み返していました。
ここでその中から、ご紹介したいエピソードが2つあるのです。
それはどちらも第15章「アフリカで音楽に会う」で述べられています。
ローデシアの孤児院を彼が訪ねたときのこと
教壇に立たされた彼は、子どもたちの前で演奏することになり
バッハのシャコンヌを弾き始めたのだそうです。
最初の和音を出した後、つぶやきのようなものが聞こえてきた。
それがなぜかだんだんと笑いになっていき、大爆笑に変わっていった。
彼は演奏を中断したのだけれど
「なぜやめるのか?」と先生に問われます。
「あなたも聞いたでしょ?笑ってるじゃないですか!」と彼。
先生はこう言います。
「笑うってことは何かを感じ取ったってことなんですよ。
お腹の底から動かされたっていうことなんです」。
もう一つ。
南アフリカのある村でのコンサート
ケープタウンからの長旅で、彼は疲れていて演奏する気分ではなかった。
でもステージには上がり、クロイツェル・ソナタを演奏した。
まったくミスのないうまい演奏だった。
でも観客が退屈しているのを彼は感じ取っていた。
二曲目はパガニーニの協奏曲であった。しかし冒頭指がもつれ
ミスをしてしまい、ショックを受けた彼は自分にこう言った。
「イヴリー、おまえ、何しちまったんだ? おまえが退屈したら
観客はどうなる。全然楽しめないだろうが。(中略)
おまえ、もう少し自分で楽しんだほうがいいぞ。」
彼は演奏に変化をつけ始めた。まるでイタリアオペラみたいに
大げさな身振りをつけて演奏した。
すると、客席の化学反応が変わってきているのが感じられた。
自由に演奏されたパガニーニが全員の目を覚まさせたのだ。
客席の全部が参加し、彼はほんとうの意味で楽しんで演奏していた。
二つ目の話は、パガニーニの演奏ということで
とりあげたところもあります。
でも彼の音楽に対する態度というか、
笑いという感情や演奏を愉しむ醍醐味について
大いに触発されるエピソードだったと思うのですが。。。
事実、彼のパガニーニの協奏曲の録音は
そのことを証明してくれています。
やはり彼の演奏を聞いていると
なんだかいつも結局は愉快な感じばかり残ってしまう私なのですが
(彼の出世作はベルクの協奏曲なんですが、それでもどこか愉快なんだな)
当たり前ですが、彼はけっしてハッピー馬鹿なのではありません。
人に元気を与える仕事は、そんなに楽なことじゃありませんし
彼の自叙伝の多くは、その苦闘の述懐となっています。
それでも楽しまなきゃできないんですね。
晩年に至るまで日本を愛し続け
東北の震災の折は、いの一番に駆けつけてくれた
その人の真心からの言葉として受け取ったときに
一抹の寂しさも感じるところですが
イブラギモヴァのパガニーニは
そんなギトリスに関する諸々を
私に思い起こさせてくれたという意味でも
ありがたい作品になったということなのでした。。。
でもそういう思いをまとった彼女の演奏は
今、いちだんと格別な調べとなって私には聞こえているところです。
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