ポール・ルイスのシューベルト・ピアノソナタ全集が完結しました。
「Piano Sonata in A Major, D. 664: I. Allegro moderato」
https://www.youtube.com/watch?v=GQuCgLv4vMQ
最初のアルバムがリリースされたのが2001年でしたから
足かけ20年あまりということになります。
新作を聞くにあたって、その2001年のアルバムを聞き直してみましたが
タッチが変わらないですね。
もうこのころから最後のアルバムの弾きっぷりが予見できていたかのよう。
(まあ、全集ということであれば、逆にあまりタッチが変わってしまっては
いけないんでしょうが。。。)
中庸という意味では、師匠のブレンデル譲りのところもあるわけですが
私はブレンデルよりルイスはかなり倒錯的なところがあるな~と
思うようになりました。
それはベルウッドさんとのやりとりの中で
はっきり確信できるようになったのですが
https://community.phileweb.com/mypage/entry/2408/20190302/61903/
ルイスの持っている女性性のようなものは
師匠にはないのですね。
もしかすると師匠もそういう表現を志向していたのかもしれない
と思いつつ、でも弟子はそれを明確に推し進めていくことができた。。。
そんなふうにもつぶやいてみたくなる表現の奥行きが
ルイスのピアノには感じられるのです。
その意味で前作のブラームス後期ピアノ作品集は
素晴らしい出来栄えでした。
決然とした表情と甘美な追憶の表情が
曲ごとに、あるいはその曲の中で変容していく
そのあり様が聞く者を陶酔に誘う
そんな感想を抱いたものでした。。。
https://community.phileweb.com/mypage/entry/4053/20220220/69315/
では新作のシューベルトはどうだろうか。
最後に選ばれたのは、
4番イ短調 D537、7番変ホ長調 D568、13番イ長調 D664。
収録順は逆で13番、7番、4番でした。
この時代を遡る収録順にどのような意図があるのか
正確なことは判然としませんが
ひとつ可能性があるとすれば、収録曲全体の印象として
ルイス自身の好みも反映されているのではないか
とは思わされました。
わざわざ最後までとっておいたかのような
そして全集のアンコール曲として用意されていたかのような
比較的小品で、可愛らしい曲たち。。。。
3拍子系の楽章が多いせいもあるのか
穏やかな中にも軽やかさが感じられる曲たちをそろえてきた
そんな感じも受けました。
最後まで弾き終えたときの
彼のニヤリとした笑顔を思い浮かべることができそうなアルバムでした。
ところで、シューベルトのピアノソナタって弾く立場からすると
どうなんでしょう。
時に冗長なんて言われることもありますし
転調の多さゆえ調性的に不安定だったりもしますし
弾いていて退屈だったり、苦しかったりってことはないんだろうか。。。
アンビエントだったり、無調の曲だったりすれば、
弾く方もそれなりに構えはあるでしょうが
シューベルトくらいですと「あれ~」って感じることも
あるんじゃないかと昔からひそかに思っていました。
そんなことを考えながら、以前にご紹介したこともある
村上春樹著『古くて素敵なクラシック・レコードたち』を
読み返していました。
というのも、村上さんのシューベルトピアノソナタに対する評価が
ユニークだったことを思い出したからでした。
氏は17番ニ長調D850をとりわけ愛好されています。
でもそれは「ただ長くて退屈な代物」だが
「なぜか知らず知らずのめりこんでしまうもの」と評しています。
この日記を書くにあたって、
そのようなシューベルト評についてさらに調べてみたところ
『海辺のカフカ』で、
わりとはっきりしたことが述べられていることがわかりました。
D850を愛好する登場人物に託す形で、次のように述べられています。
長くなりますが、かいつまんで引用します。
「シューベルトのソナタは、とくにニ長調のソナタは、
そのまますんなりと演奏したのでは芸術にならない。(中略)
だからピアニストたちはそれぞれに工夫を凝らす。仕掛けをする。(中略)
でもよほど注意深くやらなければ、
そのような仕掛けは往々にして作品の品格を崩してしまう。
シューベルトの音楽ではなくしてしまう。
このニ長調ソナタを弾くすべてのピアニストは、
例外なくそのような二律背反の中でもがいている」
その意味であらゆる演奏は「不完全」であるが、
「質の良い稠密な不完全さは人の意識を刺激し、
注意力を喚起してくれる」がゆえに
「そこに人の営みの限界を聞きとることになる」し、
「ある種の完全さは、不完全さの限りない集積によってしか
再現できないのだと知ることになる。
それは僕を励ましてくれる」と話が進んでゆきます。
さらに「シューベルトというのは、僕に言わせれば、
ものごとのありかたに挑んで敗れるための音楽なんだ。
それがロマンティシズムの本質であり、
シューベルトの音楽はそういう意味において
ロマンティシズムの精華なんだ」
とまで言い切っています。
どうでしょうか。。。
「質の良い稠密な不完全さ」っていう表現が私は気になりました。
村上さんが気にかけている点を集約した言葉だと思ったからです。
実は、『古くて素敵なクラシック・レコードたち』では
最後のピアノソナタである21番変ロ長調 D 960がとりあげられていて
とりわけ評価が高かったのは、イエルク・デームズの古い演奏でした。
たぶんこれかな~
「Schubert – Jörg Demus (1956) Sonate en si bémol majeur, D. 960」
https://www.youtube.com/watch?v=v94k188IuhA
「シューベルトの魂をそのまま捉えて示したような、
美しくよどみのない音楽になっている。
本当に素直で誠意のある演奏だ。」とは
氏の言葉です。絶賛に近いと思います。
確かにこれ見よがしの「工夫や仕掛け」は感じられないという意味で
「素直で誠意のある演奏」というのはわかりました。
またそれだけに聞き耳を立てて、
意識を傾注して聞きたくなる演奏でもありました。
これが氏が考える「質の良い稠密な不完全さ」なのかと
少し理解できた気がしました。
本当に微妙な演奏者の息づかいレベルのタッチの差の
それこそ「集積」によって生み出される違いと言ったら
いいんでしょうか。。。
「ウィーン育ちのピアニスト」で
「同じ水を飲んだ作曲者に対する自然な敬意のようなものが
強く感じられる」なんていう言い方で
村上さんは表現されようとしています。
話がずいぶん脇道にそれてきてしまいました。。。
翻って、ルイスのシューベルトはどうなんだろうってことです。
やはりデームズのベクトルとは違う気がします。
ちゃんと力強さはあるんだけど、
すべてが夢の中の出来事であるかのように響いて
いつの間にか時間が経過している感じが
ルイスのシューベルトにはあって
不完全さとか、挑んで破れるとかっていう文学的主題はあるにしても
ずいぶん後景に退いてしまっている気がするのです。
むしろ純音楽的にシューベルトの同時代性に迫ろうとしている。
現在只今鳴らしたいピアノでルイスは勝負しようとしている。
その意味では前作のブラームスと地続きのように思われてくるのです。
たとえばオラフソンがラディカルに作り出そうとしているピアノの響きも
同時代性を強く意識していると思うのですが
ルイスも中庸の立ち位置から、ひそやかにピアノの響きを追求している。
そんなふうに言いたくなるのです。。。
でも村上さんは、きっとルイスのシューベルトは、やり過ぎって
おっしゃるような気がしますが、
でもやはりルイスのシューベルトは魅力的だ
と、あえて申し添えて、この日記を終えようと思います。
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ゲオルグさん、おはようございます~♪
わたくしNo.21, B flat majorの愛好者です(笑)
ルイスさんの21番をYouTubeで聴いてみましたが良い感じですね。
シューベルトの愛聴盤はケンプ、次いでブレンデルなんですが音質がイマイチ、イマニなのです。
ルイスさんの全集が出たら買ってしまうかもしれません( ̄¬ ̄ )。o0○
spcjpnorgさん
今晩は
レスありがとうございます!
No.21, B flat majorお好きでしたか。この日記を書くために他のピアニストも含めて何回も聞きましたが、やはり長いですね。この長大さがどういう効果を生んでいるかは真剣に検討すべきことと思いました。。。村上さんのように、いわば現実との格闘を物語ることになっているのか、それともアンビエント的な様相を呈することになっているのかっていうことですね。私はルイスの演奏に後者の効果を感じるんだと思います。でもそれもありなんじゃないか。。。というのが私が言いたかったことなのかな~。
それと演奏するピアノの種類の違いもシューベルトのピアノ曲の場合、大きいかな~と思いました。ウィーン系のデームズとかバドゥラ・スコダとかはベーゼンドルファーで弾くことが多いし、ケンプやブレンデルを始めとする他のピアニストは、やはりスタンウェイですね。デームズなんかは晩年、フォルテピアノで弾いたものも録音しているぐらいです。
「Los Grandes de la Musica Clasica – Franz Schubert Vol. 2」
https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_l8Lzm5KHlrSBqYUp2UvBpovSweLVQ9mIc
あと、村上さんが挙げていた演奏でいいな~と思ったのは、ルービンシュタインです。彼はシューベルトのピアノ曲を、D 960しか録音していないのです。ここまでくると、みな、いかほどかは文学的な事情を想起してしまいそうですが、坦々とした語り口の中に込められた想いは、やはりある感じがします。
「Franz Schubert Piano Sonata in B flat major, D 960 Arthur Rubinstein, 1965」
https://www.youtube.com/watch?v=KcZKS39VeE0
ゲオルグさん、こんばんわ~♪
ピアノを始めるきっかけになったのがさすらい人幻想曲だったのでシューベルトのピアノ曲には思い入れがあります。
ソナタ全曲を通して聴くこともあるので演奏時間を気にしたことはなかったのですが、ケンプだと第1楽章だけで20分オーバーですね(たしかに長い、、、笑)
また初めて買ったクラシックのレコードがルービンシュタインのショパン/ノクターンだったんですが、シューベルトの21番を録音してたのは知りませんでした。(YouTubeの演奏Goodでした)
ルービンシュタインはショパン弾きのイメージが強いんですが、シューベルトのPトリオ1番なんかは素敵だと思います。
それにしてもゲオルグさんは知識が豊富で深いですね!!!
これからも色々な情報発信を楽しみにしています。
spcjpnorgさん
今晩は
再レスありがとうございます!
Ho~ピアノを弾かれるきっかけがシューベルトだったんですか。ご幼少の頃ですか?だとすると、渋いけど、素敵なセンスだな~と思いました。
シューベルトのPトリオは私も好きです。ピアノソナタより明快な感じがするから、そういう意味ではルービンシュタインに、はまりやすいところがあったのかなと推測したりして。。。
ルイスのインタビュー記事を読んでいたのですが、「ピアノで一番出したくない音は『ピアノの音』だ」なんていう発言が引用されていて、ちょっとドキリとしました。彼はスタンウェイを弾く人ですが、スタンウェイらしく壮大な感じをやはりあえて出さないようにしているのか~と思わされました。でもベーゼンドルファーやフォルテピアノは選択しないのだな。。。それが彼の流儀ってことなのでしょう。