新規会員登録の際、X(旧Twitter)のフォローやメッセージをご確認頂けず、登録保留の方もいらっしゃいますので、Xへログイン頂きご確認をお願いします。

ハイドン・ランダム・ノーツ9:ピアノではなくチェンバロで聞くソナタ

日記・雑記
日記・雑記
Sponsored Link

若いころ、チェンバロの音はうるさい感じがして
あまり好んで聞かなかったのですが
ここ10年くらいは、だんだん好きになってきて
真夏に、エアコンの効いた部屋でチェンバロを聞くのが
無上の愉しみとなりつつある今日この頃
みなさんはいかがお過ごしでしたでしょうか。

きっと若いころ聞いていたチェンバロは
いわゆる「モダン・チェンバロ」が多かったのでしょう。
古楽器による演奏がポピュラーになっていくにつれて
ドイツ式の「バッハ・チェンバロ」を基に作られた「モダン・チェンバロ」は
演奏される機会が激減して
伝統的な製法によって作られた「歴史的チェンバロ」にとってかわられました。
この歴史的推移を逆手にとって
「いや、やっぱりモダン・チェンバロがいい!」
なんて言ってみたい気もしますが、
残念ながら、私は「歴史的チェンバロ」のほうが好きなんであります。。。

「歴史的チェンバロ」は、響きが自然で
いわゆる箱鳴り的な美しさもあると私は思うのですが
今日はそういう美的観点から、ハイドンのソナタを聞いてみようという
という趣向なんであります。

この稿を草するきっかけとなったのは
ピエール・ガロンによる『ハイドン:独奏チェンバロ作品集』(2018)でした。

「Joseph Haydn – Sonata per Cembalo HobXVI:24 par Pierre Gallon, clavecin」
https://www.youtube.com/watch?v=hM1hmm2U39U

C. Himelfarb によるOverviewは刺激的でした。
https://www.encelade.net/index.php/en/hikashop-menu-for-products-listing-2/product/25728-per-il-cembalo-solo-english

「この録音は、バロック鍵盤音楽への現代的なアプローチにおける珍しいマイルストーンであり、ヨーゼフ・ハイドンを名手ハープシコード奏者として紹介しています。実際、これは巨匠が初めて演奏した楽器であり、即興演奏やコンサート、そして何よりも作曲に使用した楽器であるため、彼自身の楽器とさえ言えるでしょう。」

大宮真琴著『ハイドン 新版』によると
実際、ハイドンがピアノフォルテを自分で購入したのは
1788年11月のことで、それ以前、つまり第48番ソナタまでは
チェンバロで作曲していました。

ガロンのこのアルバムでは、もちろんチェンバロ作曲時代のものが
集められていますが、チェンバロの名手としてのハイドンという視点が
斬新な気がしたのでした。。。
チェンバロを愛し、いちばん身近におき続けたハイドン。
歴史上最後かもしれないチェンバロの名手としてのハイドン。

「リストとメンデルスゾーンのバッハへの情​​熱、そしてブラームスのヘンデルへの関心は、両作曲家が忘れ去られていた時代に、彼らが演奏していた音楽の根源への回帰を伴う大きな変化を告げていた。それでも、この復活は基本的にピアノで演奏された。つい最近の1960年代にも、クララ・ハスキル、リヒター、ホロヴィッツといった、真に伝説的な次世代の現代ピアニストたちは、コンサートでもレコーディングスタジオでも、主にスタインウェイピアノを使用し、ベルベットのように柔らかで落ち着いた音色で耳障りのないロシア風に演奏して、ハイドンやスカルラッティの世界を再現しました。」
C. Himelfarb によるOverviewの前段では、このような指摘もありました。

大半がチェンバロで作曲され、演奏されていたハイドンのソナタは
ロマン派の時代には、その事実がなかったことのようにピアノで演奏され
その歴史が現代ピアニストにも延々と受け継がれてきたということを
告発するかのような内容ではありますが
それだけにとどまらず、
「歴史的チェンバロ」の一般化が進んだ今日においても
ハイドンは「ピアノソナタ」なんだし、
チェンバロよりピアノで弾いた方が良いに決まってるでしょう!
という認識に風穴を開けたいという意気込みが快く感じられるのでした。

ガロンの演奏は、装飾音というのかトリルというのか分かりませんが
そういったコロコロと転がる感じの快さは
チェンバロならでは。。。というふうに思わせますし
そのスピード感を意識させるアゴーギグというか
タメのようなものも同時に感じさせてくれます。
そういう対比がピアノより明快に、しかも響きの美しさを伴って表現されるのが
「歴史的チェンバロ」なんだという事実を
聞く者はあらためて認識させられます。
そしてその美しさの最上のものを弾き手として追求したのが
まさにハイドンその人であったということなんですね。

そうしたチェンバロのヴィルトゥオーソとしてのハイドン
を感じさせるという点では
次の2枚のアルバムもすばらしい演奏・録音といえるような気がします。

ロバート・ヒル『ハイドン:チェンバロ・ソナタ集』(2000)

「Haydn: Sonatas & Divertimenti」
https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_kGJQReL_DqpoyP-0Wotmqku0Oqfj9vzu4

フランチェスコ・コルティ『ハイドン:チェンバロ・ソナタ集』(2017)

「Haydn: Fantasia in C Major | Francesco Corti (Harpsichord)」
https://www.youtube.com/watch?v=lJwrLfcaiEY

ヒル盤は、意図的にリヴァーブがかけられているかのような
夢幻的な音色が特徴的で、音の減衰していく際まで聞かせようとしている
そんな感じさえあります。

コルティ盤は、軽快なスピード感が気持ちよいです。
ある意味ハイドンが目指したその先まで超絶技巧を追求した感じもする
そんなコルティの演奏も聞きものです。

最後にひとつ私なりの気づきというか邪推として申し添えておきたいのは
「歴史的チェンバロ」の演奏法ないしは楽器の復興再生の精度の進化
ということもあるんじゃないかということですね。
まず演奏者の技巧が成熟してきているっていうこと。
「歴史的チェンバロ」が演奏されるようになって
半世紀ぐらいは経っているので
その初期より演奏者の技能も上がってきているのではないか。
そして楽器自体の細かいチューニングのようなものも
もしかすると研究が進んで、
結果的により良い音色が得られるようになってきているのでは。。。
とにかくそんなことを邪推させるほど
ハイドンのチェンバロ・ソナタは面白いのだ
というのが本日の結論なんであります。。。

コメント ※編集/削除は管理者のみ

タイトルとURLをコピーしました