正しい音、良い音、好きな音

日記・雑記
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Auro3Dさん、ヒジヤンさんおよび諸氏による「検証作業」を興味深く拝読しました。多くの方が参加され非常に読み応えがありました。私も課題の音源を入手して聴いてみました。それにしても音を言葉で表現するのは難しいです。

趣味としてのオーディオには、独り個人的に楽しむ時間、店頭やオフ会等で他人の音を聴く時間、友人との会話やファイルウェブのようなコミュで音を語る時間、等々さまざまな場面があります。

そのような中、音を評価したり表現することは容易ではなく、上手く意図が伝わらないことも少なくありません。

私は、出来るだけ正確に誤解のないように評価・表現するため、音と対峙する際に、これは「正しいか」、「良いか」、「好きか」と考えながら聴き、それを表現するように心掛けています。

即ち:

「正しい音」: 制作者の意図した音、音源に記録されている音に忠実な音

「良い音」: 客観的、一般的に「良いとされている音」

「好きな音」: 主観的、個人的に「良いと思う音」

ここでディスクレーマーですが、これは私の独善的な見方(聴き方)で一般的ではありません。学生時代に少しだけ勉強した法律に於ける「条文」、「判例」、「私の意見」をイメージしています。

このように考えるきっかけとなったのは、最近、雑誌等で非常に評価の高い機器を試聴する機会がありました。差し障りがあるので機種名は伏せますが、私には“良い音”とは聞こえなかったのです。
非常に理詰めで作られていて評価が高く、しかも売れているのにどうしてだろうか?と悩みました。おそらく、あの音は「正しい音」で「良い音」かもしれませんが「好きな音」ではないということです。

「正しい音」を確認する手っ取り早い方法はテストCD等の音源を用いることです。音源の製作段階から「正しい音」の答えがあらかじめ示されています。先のAuro3Dさんによる大貫妙子の曲がどう聞こえるか?というお題は、参加者による「正しい音」の確定作業と見ることが出来ます。

「良い音」の答えはサイエンスとしてのオーディオとアートしてのオーディオが上手くバランスされたところにあるはずですが、普遍的なものでは無さそうです。例えば、1980年代の日本ではJBLモニターが「良い音」だったと思いますが、2020年代ではその音を支持する人はおそらく少数派です。

「正しい音」が「良い音」になれば、オーディオは真にサイエンスなのでしょうが、話は簡単ではありません。最新の音場補正デバイスを駆使しても全てが解決しないことを我々は経験しています。

このような分類は「音」だけでなく、機器の接続やセッティング、再生方法についても可能だと思います。ただ、ここでも難しいのは「正しいセッティング」を基本とすることは大切であるものの、「正しいセッティング」が「正しい音」や「良い音」を必ずしも保証しないことです。

「この接続はアースループがあるので音もダメだ」とか、「このアンプはNFBが多くかかっていてダメだ」とか、逆に「○○電源だから音が良い」とか、機器や再生環境と出音を短絡的に結びつけてしまう議論には要注意です。

有名なグレン・グールドのゴルトベルク変奏曲をこのフレームワークで評価してみます。

1955年に披露された彼の演奏は、それまでの常識的な演奏とはかけ離れたものであったし、楽譜通りとは言えないものでしたが、多くの聴衆の心を掴みました。この演奏は「正しい音」ではなかったが、「良い音」と認められたわけです。

彼は晩年1981年に同曲を再録音しました。私が初めて彼のゴルトベルクを聴いたのは1981年盤で、そのためかこの演奏が私の「好きな音」です。

55年盤にせよ81年盤にせよ彼の演奏があまりに広く認知されたため、今や彼の演奏が「正しい音」と理解されているのかもしれません。

ちなみに、彼の死後、2006年に「ゴールドベルク変奏曲(1955年)の再創造~Zenph Re-Performance」というピアノ演奏機による自動演奏の録音があります。グールドの1955年演奏と「note-perfect」で高音質ステレオ録音ということで話題になり、私も所有していますが、これはある意味で「正しい音」ですが、「良い音」でも「好きな音」でもありません。

私は、最近になって自分の「好きな音」が大分わかってきました。そして当然のようにそれを求めています。勿論、それは「良い音」であって欲しいし、「正しい音」かどうか気になりますが...

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