復興からの『New Direction』 – ハーリン・ライリーの新作によせて

日記・雑記
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最高気温も、ぼちぼち25度をこえるようになると
我が家のハーベスシステムの機器は、かなり発熱するため、
部屋を閉めきっていると、なんとなく「暑いなぁ」と感じること、
しばしばなんであります。
でもそんな「ホット」な機器からホットな音楽を鳴らすと
意外に目の覚めるような音がすることがあるので
たまには若くない機器たちに無理言って、
がんばってもらっています。。。

今日は、ハーリン・ライリーの新作『New Direction』をご紹介します。

ニューオーリンズ出身のジャズ・ドラマーで
80年代から90年代にかけては、
アーマッド・ジャマルやウィントン・マルサリスのバンドに参加。
来年還暦ということで、もう大御所的存在なんだそうですが
私はあまり彼の音楽を存じあげてなかったです。。。
今回レビューするにあたって、
彼がドラムスをたたいているいろいろな音源を聞いてみたのですが
私は最高傑作なんじゃないかと思っています。
とにかくかっこいいのです。
そんなにリバーブのかかっていない音で録られた
すこし乾いた音色のドラムスが
極太の音像で重戦車のように疾走していく感じが
まずたまりません。。。
ボリュームを上げて聞くと、お腹をズンズンとする音圧が伝わってきて
ここちよいのです。
参加メンバーは、ゲストのマーク・ホイットフィールド(ギター)と
ペドリート・マルティネス(コンガ)は除いて
ライリーにとっては、もはや息子世代の若手ばかりで
しかもピアノのエメット・コーエン以外は
まだそんなに名前の知られたミュージシャンではないようです。
フロントのブルース・ハリスとゴッドウィン・ルイスのブラスも
やはりすこしドライな音色で
私はウィントン・マルサリスの音作りと似た感触を持ちました。
アルバム前半はマルティネスのコンガがとても効いていて
ライリーのドラムスとラッセル・ホールのベースが
それに有機的に絡んでいって、濃密なグルーブを醸しています。

と、こんな感じでレビューを書き進めていたのですが。。。

アン・サリーさんによる
印象的なハーリン・ライリーのエピソードに出会いました。
ttp://www.annsally.org/boundforglory/messages.html
かなり長いのですが、引用させてもらおうと思います。

「一人ご紹介したい人物がいる。私にとって非常に印象深いニューオリンズのミュージシャンのうちの一人であるハーリン・ライリーは、地元に拠点を置きながらも、リンカーンセンター・オーケストラのメンバーとしても活躍してきた世界的ドラマーだ。その彼がリンカーンセンターを2005年秋、辞めた。私は彼のドラムから音楽の枠を超えた非常に大切なものを学んだ。初めて彼のドラムをたたく姿を見たときは衝撃的であった。小さなライブハウスであったが、その精神はそこに留まっておらず、宇宙の何か大きなものとつながっているように遠くを見つめ、その目は鋭く輝き、肌は光り、とにかく、とてつもなく美しいものを見てしまったと、畏れのような感情を持ちながらひたすら演奏を聴いていたことを憶えている。その後も度々彼の演奏には接したが、ある時彼に、いっしょに演奏することが私の夢です、と伝えると、いつどのときでも、いまこの瞬間もウェルカムであると答えてくれた。彼の言葉のように、ニューオリンズでは有名無名による音楽家間の上下関係が全く存在せず一緒に演奏することが普通であり、音楽家と聴衆の垣根もない、そんな街なのだ。
(中略)

次に彼を見かけたのは、トロンボーン奏者のジョーが19歳にして亡くなった葬儀の場であった。ジョーは地元の若手ブラスバンドの中心的なメンバーで、彼の存在があるとなしでは演奏が全く違って聞こえるというほどの腕を持つ、将来有望な若者だった。その彼が黒人街で警察に銃殺されるという事件があった。経緯はここには書かないが、その彼のおじに当たるのがハーリンであり、泣き崩れて足元のおぼつかないジョーの母親を抱えるようにして歩いている姿を私は見た。そして驚いた。ドラムをたたく時とはまるで違い、怒りと悲しみに満ちているその表情は、私の胸に強く突き刺さった。時間も距離も遠く離れた今なお、ハーリンのその二つの表情は私の頭に強烈に焼き付き、言葉なしに多くのことを語りかけてくるようだ。

彼がリンカーンセンター・オーケストラを辞めた本当の理由を私は知らない。しかし、多忙でニューオリンズを留守にしがちだった、でも誰よりニューオリンズを愛し、地元文化を誇る彼が、ニューオリンズが危機に面している今こそ、長時間滞在し音楽的貢献をすべきだと考えたのではないか、と想像するに難くない」。

ハーリン・ライリーが今作を
『New Direction』というタイトルにした背景が
透けて見えてくるようなエピソードなのですが
彼のニューオーリンズの音楽文化への貢献としての
ひとつの大きな成果が今作であることはまちがいないでしょう。
アン・サリーさんが述べられた
「ニューオリンズでは有名無名による音楽家間の上下関係が全く存在せず
一緒に演奏することが普通」ということが、
若手の起用につながっているのだろうと思いますし、
起用された若手のミュージシャンたちも
ライリーの意図をよく咀嚼した演奏を繰り広げています。
他方、ハリケーンによって無残なまでに傷ついた故郷にもどった彼が
複雑な思いを抱えていたことも、
アンさんの文章の後半からはうかがえます。
あたりまえかもしれませんが、故郷への思いとは
それほど単純なものではなく、愛憎なかばする。。。というと
言い過ぎかもしれませんが、なかなかひとことで言い表せるような
ものではないんだろうと思います。
またこれは私の憶測に過ぎませんが
明示的なものではないにせよ、
有望なミュージシャンであった甥への思いも
このアルバムの背景を構成する
なんらかの要素になっているような気もします。

熊本や大分の苦難を知らせるニュースが
引き続き報じられています。
こういう時期にこのアルバムに出会えたことは
たんなる偶然なのかもしれませんが
かの地の人でさえ、ハリケーンからこれだけの歳月がかかって
New Directionを示しえたのですから
まだまだわれわれも息のながい支援が必要になってくるのだろうな
と、そんなことも考えさせられた作品でございました。

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