続・アーマッド・ジャマルの夏

日記・雑記
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さっそくですが、今晩はこんなお話から

今から60年以上も前のことになるが
あるかき氷屋が開店した。
その店のかき氷は、よくあるかき氷のように思えたのだが
食べた人によると、わりとシンプルな味わいで
さわやかながらも独特の風味もあって
でもそれが破綻しないで調和を保ちつつ
不思議な後味が残るということであった。
クチコミで評判となり
東京で大人気の新興かき氷屋の主人がそのかき氷を気に入り
豪華にアレンジして出した。
それもまずまずの評判となり
もとのかき氷屋も世間に知られる店となった。

いつしかそのかき氷屋の味わいについては
そのシンプルさゆえなのか
味わいの「間」のようなものが
食べた人を虜にするところがあって
常連客はそれを楽しみに店に通うのであった。
でも主人に本音を聞くと、その「間」というのは
そうする必然があってそうしているのであって
みんながいう「間」とは思っておらず
「修行によって身につけたもの」だという。
やはり、いっぱしのかき氷屋として認められたかったからであり
自分でも納得ゆくものを出したいということがあったからだ
というのである。
でもそれは若い頃の話で今はそうでもないよと
主人は言っている。

また主人は子どものころ、「フランス菓子」つくりに傾倒していた
時期があって、隠し味にそういった影響がでているという。

主人のかき氷のつくりかたは、まず「シロップ」をつくることから
始まるそうだ。その配合はレシピが書かれているらしい。
季節や天候によって微妙に配合が変わる場合もあるので
「氷の様子やかき氷機の設定等」は
「シロップ」ができあがってから
それに適合するように指示を出すのだ。

大人気店とはならないまでも
知る人ぞ知るといった名店としての営業が続いているが
ここ5年ほどは、よいかき氷の削り手を雇うことができたようで
もう少しでミシュランガイドにも載るというところまで
評価は高まった。
世評では開店当初よりも現在のほうが
若者にもウケそうな味わいだそうで
店を訪れたお客たちはみなこのかき氷を作っている人が
おじいちゃんだという事実を知ると驚いている。

アーマッド・ジャマルの魅力の謎に迫りたい思いが
先日の投稿以来募ってきて、
何かヒントになるものはないかと探していたら、
「Trio and Quintet Recordings With Ray Crawford」の
ライナーノーツに行き当たりました。。。
おそらく70年代の中ごろのジャマルへのインタビューが
掲載されていて、その内容を加味しながら
ジャマル作品の私の印象を寓話風?!にまとめてみた
というわけです。。。
おわかりになる方には注釈不要な箇所もあるかと思いますが
すこしわかりにくいところだけ注釈を入れます。

「間」
件のインタビューでも「space」として言及が何度もあります。
そのたびにジャマルは「いやそれは disciplineなんだ」
と説明しています。
disciplineの私の解釈は「修行によって身につけたもの」です。
そしてその修行の動因について述べていると思われる一節を
原文のまま引用しておきます。

When I was young, I was trying to achieve something – recognition, not necessarily from other people, but from myself. I was trying to gain confidence.

表現者として独り立ちするのに必要な「確信」を得たいがために
いろいろ模索した結果が、あの「間」なんだ
ということなんでしょうか。

「フランス菓子」
フランスのいわゆる印象派のピアノ、
特にラヴェルにかなり傾倒したとのこと

「シロップ」と「氷の様子やかき氷機の設定等」
「ピアノのスコア」と「他のパート(ベースライン等)」のこと。
彼の創作は、まずピアノをかなり仕上げてから、
他のパートはそのピアノをもとに組み立てていくようです。

前回ご紹介した
「Ahmad Jamal featuring Yusef Lateef, Live at L’Olympia. 2012」
のライブDVD(CDとまったく同じ内容です)を
昨夜見直しました。
やっぱりいいんだな~
あらためて認識させられたのは
ハーリン・ライリーがこのバンドで果たす役割の重要さ。
余裕を感じさせつつも、熱さを失っていない各人の演奏ぶりが
心に残ります。
ラティーフ翁もよかったんじゃないかな
こういうメンバーと演奏できて。。。
なんて思ったりもしました。

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