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『名指揮者列伝 20世紀の40人』読書ノート

日記・雑記
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                     2021年01月01日

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

今年の元旦は、とても静かな感じでしたが
一方で風が強かったり、凪いで陽もさしたりといった
目まぐるしく天気が変わる不安定さと
どことなく共鳴する静けさでもあるような気がしました。。。

ベルウッドさんから、しばらく前にご紹介のあった

http://community.phileweb.com/mypage/entry/2408/20201128/66503/

山崎浩太郎著『名指揮者列伝 20世紀の40人』を読みました。
その語り口の魅力に引き寄せられるように
読み進めてしまいましたが
この著作で紹介されている音源そのものについて
私自身が無知であることが多く
そのあたり、これからの課題とさせていただくとして
今晩は、いくつか気になった箇所を挙げて
覚書を残しておこうかなと思います。

まず著者山崎浩太郎氏は1963年生まれで
私の想像よりお若いのにチョットびっくり。。。
ほぼ同世代なんですが、
でもクレンペラーが入り口で、しかも高校生からとのこと。
へ~しぶいな~と素朴に思ったりもしました。

いきなり変なところから書き始めてしまいましたが
ご本人のHPを拝見すると
普通にクルレンツィスやエベーヌSQなども聞かれる方なので
「考古学」的に歴史的音源を聞かれているばかりではありません。
その意味では、私たち一般のクラシックファンが
同じ現代の肌感覚で歴史的音源にアプローチしていく際の
「失われた部分」のようなものを
歴史的資料などで補いながら、説き起こしてくれている印象が
全体を通じてありました。

その際のひとつの指標のようなものとして度々登場するのが
「俊敏」と「荘重」という対比です。
たとえばカラヤンの章で、
ベルリンフィルでカラヤンの後任となったアバドを論じる際に
彼がヨーロッパ室内管弦楽団や
グスタフ・マーラー室内管弦楽団を育成し
そのことがヨーロッパのオーケストラ運動の
新しい波となりつつあるとした上で、
20世紀後半の「荘重の時代」=音に弾力がなく生真面目に敷き詰められる、
に生きながら、21世紀の「俊敏の時代」=音に弾力があり、跳ねまわる
を準備することに成功した(P201)
と、明言しています。

ただこの対比そのものは、私のような新参者でも感じ取れることなので
そんなに目新しいということではないような気がします。
またこの流れを「継承」と「反動ないしは革新」ととらえることも
私などがよく陥ってしまいがちなところで
それを戒めるわけでもないのでしょうが
著者は、ベイヌムとメンゲルベルクのニキシュとの関係を論じる際に
こう述べています。

「時間の流れというものは単純でなく、反動の他方に継承があり、
形勢や主客の関係をさまざまに変えながら、移ろっていくのだろう。
この反動と継承の、ときには互いに矛盾さえもする多重で複雑な
入り組みこそが、歴史というものなのではないか」。(P184)

ニキシュは強烈な個性の持ち主という点で、
フルトヴェングラーやトスカニーニに比せられる存在であったそうで
それとはある意味対照的な
「自然にして温和」の趣がある
(私がよく使う表現で言わせてもらうなら「中庸」な)
ベイヌムの音楽を「ニキシュそっくり」と評した
ある音楽学者の言葉をきっかけにし、
著者はその含みをかみしめながら
ニキシュとベイヌム両者の演奏に
「貴族的な洗練のような爽快さ」を発見していきます。

実はニキシュという指揮者の存在を知らなかった私としては
ほんとうのところはよく判らないのですが
著者の音楽への向き合い方のようなものに共感を覚えたので
思わず書き残しておきたくなってしまったのです。。。

他にも、ワルターの「作品の気を読み、それを音にする力」(P38)とか
クレンペラーの「音楽の呼吸」(P87-88)とか
興味深い表現がでてきて、
今後の自分の音楽の聞き方に少なからず影響していくのでは。。。
と思っています。

ベルウッドさんには、よいご本を紹介していただいて
深謝です!

今晩の演奏は、なんとなくそんな「気」や「呼吸」の良さを感じた
グザヴィエ・ロト指揮
ケルン・ギュルツェニッヒ管弦楽団の演奏による
『ジュピター』です!

https://www.youtube.com/watch?v=TexRYGpUm3g

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