ハイドン・ランダムノーツ2:閒(あわい)の音楽を聞く①

日記・雑記
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                     2021年09月20日

明日は十五夜。
今年は「へ~もうそんなころか。。。」っていう感慨があります。
ここ最近、晩に月夜を見上げることもしなかったのが
なんとなく自分の余裕のなさのような気がして
ちょっと残念な気持ちなのです。
時間の推移と自分の感覚がずれているだけなんでしょうけど
ふとそんなことを呟いてみたくなった今日この頃
みなさんはいかがお過ごしでしょうか

最近、ハイドンの音楽をよく聞いています。
ハイドンを欲しているみたいな時期が私には時々あるのですが
新譜のリリースと重なることもその一因で
今度のハイドン・モードもそういうきっかけでした。

そのホントに端緒になったのが
ハイドン生誕300周年となる2032年までに、
100曲を越える交響曲を全て録音してリリースするプロジェクト
HAYDN 2032の10作目
『一日の時の移ろい~ハイドン: 交響曲《朝》《昼》《晩》』
を聞いたことでした。

指揮のジョヴァンニ・アントニーニが主導するこのプロジェクト
Alphaレーベルとしてもビッグな取り組みでしょうし
以前からそれが進んでいたことを知ってはいましたが
なぜかスルーしていました。。。
今作を聞いてから、それ以前の9作も聞いてみましたが
なぜ聞かなかったのか?と後悔することしきり。
アントニーニ自身が結成した古楽器編成による
イル・ジャルディーノ・アルモニコはもちろんのこと
バーゼル室内管弦楽団との演奏も
新時代を感じさせる、
「俊敏」系のハイドン・シンフォニーを打ち出していこうという
一貫した意図が感じられる気がして
「荘重」なオケによる演奏に飽き足らなかった私には
どれも新鮮に響いてきたからです。

そして今作は、私の好きな《朝》《昼》《晩》
でもこの3作がなぜ好きなのか、自分でもよく判らないでいたのです。
初期のシンフォニーの小編成なところとか
わりとソロパートが目立っていて、
それらがなかなかいい味出してるところとか
そういう美点が相まって、さわやかな印象が残るからなのかな~
ぐらいの思いでいました。。。

基本的に上記の印象は変わらないものの
何回か繰り返して聞いているうちに
この音楽の時間の経過が、
《朝》《昼》《晩》という1日の時間の経過を意識して構成されている
そのことの快さはじゅうぶんにあるんじゃないかな~
と思うようになりました。
つまり時間の推移と自分の感覚が整合する快感みたいなものが
これらのシンフォニーにはあるのかも。。。ってことです。
むろん現代の映画音楽みたいな映像を喚起する表現
ってことではありません。
だからやはりこの時代なりの制限や限界はあるのですが
ハイドンその人がこの「大喜利」的なお題を意識して
曲を紡ぎだしたっていうこと、
そしてその痕跡をたどるようにして音楽を聞くとき
聞く者はなにかを共有することができるのかもしれない
と思うようになったってことです。

まあ、こんなことを云うのは私の入れ込み過ぎなんでしょうけど
このアントニーニ&イル・ジャルディーノ・アルモニコの
《朝》《昼》《晩》は、私にとっては
メラトニンが体内時計をリセットしてくれるような効果が
あったのだろう(笑)。。。ぐらいは言ってみたくなる
そんな作品ではありました。

最後に今日の副題の「閒」なんですが、「間」の旧字体なのだそうで
なんかちょっと洒落てるな~と思い、使ってみました。。。
それと①ってことは、②があるわけですが
今度は何の「閒」とハイドンか?
それはまた稿を改めることにしたいと思います。

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