椀方です。
久しぶりのコンサート日記です。
11月27日の夜、仕事を終えると阪急電車に乗って西宮北口駅前にある兵庫県立芸術文化センターへ向かった。
今夜はマリス・ヤンソンスが率いるバイエルン放送交響楽団とクリスチャン・ツィメルマンの来日公演。
今回が来日最終公演で、来日前はソウル公演をこなしてからミューザ川崎を皮切りにサントリーHと京都コンサートHを往復して、最終の兵庫の公演を終えると関港から台北に飛立つという。
日本のオケが年末に第九を演ってもち代を稼ぐのと同様に、彼らもアジアツアーでクリスマスプレゼント代を稼ぎに来るのかと思えるほど、この時期は海外からのオーケストラ来日が多い。
昨年は常連のウィーンフィルの他にベルリンフィル、ロイヤルコンセルトヘボウ等、名だたる一流オケが同時期に来日するという珍現象も起きるほどだから、最近のアジアマーケットは彼らにとって、如何に魅力的なマーケットなんだろうと考えてしまうほどだ。
それでも、CDではなく生演奏を聞きたい音楽ファンにとっては、彼らの本拠地に出かけて行ってコンサートを聴くことが理想であり、実際にそれを実現されている方も多く居ることも事実だが、それはお金とともに時間も必要である。
そんなことで、ミューザ川崎公演を聴いた後に、アムステルダムまで飛んで、ロイヤルコンセルトヘボウを聴きに行かれたマイミクの方を横目に、小生は兵庫県立芸術文化センターの座席に座った。
今夜の曲目はクリスチャン・ツィメルマンの弾く、ブラームスのピアノコンチェルト第一番。
休憩を挟んでムソルグスキー(ラヴェル編曲)の組曲「展覧会の絵」である。
ブラームスのピアノコンチェルトは、今年3月に下野竜也の指揮、小山実稚恵のピアノでPACの演奏を聴いているが、何といっても楽しみは2年前の秋にリサイタルで聴いて以来のツィメルマンのピアノである。
定刻になると拍手の中を楽員がステージに並び、ヤンソンスがツィメルマンと並んで現れた。
座った席がステージに近いがやや右よりであるため、ピアニストの顔が良く見える席だしピアノの響きがダイレクトに聴ける位置であったのは嬉しい。
ツィメルマンの髪の毛と髭は真っ白でフサフサで、サンタクロースに扮したらピッタりと思える。
ヤンソンスのタクトが振り下ろされ演奏が始まった。
冒頭のティンパニのトレモロと弦楽器の和音からして、前回のPACとは比べ物にならないほど力強く厚みがある。
そして、ホルンをはじめとする木管楽器奏者のアンサンブルが素晴らしい。
まるで大排気量エンジンのような余裕を感じる響き。と言えばよい。
ヤンソンスの指揮に会わせるように体を揺らし時に左手で指揮をするようなツィメルマン。
彼が指揮振りをしたショパンのピアノコンチェルト第一番と第二番の録音があるように、彼は彼自身の音楽性を主張するタイプのピアニストで、指揮者にさえ簡単には妥協をしない気難しさを持っている。
そのためもあって、21日のミューザ川崎では、ヤンソンスとツィメルマンの解釈にズレが生じる場面があったとの報告もあって、その後何回かのコンサートを重ねる中で一致点を見出せたのかが、やや心配でもあった。
ブラームスのコンチェルトは、ピアノ付き交響曲である。
たとえツィメルマンがどれだけ我侭なピアニストであっても、ブラームスを演奏するということはショパンやリストとは違うのだと思う。
第一楽章冒頭の主題が再び繰り返され、ピアノがオケの中に入って来る。
ホール備え付けではない、彼が演奏旅行に帯同する専用のピアノに対峙して鍵盤を叩いた瞬間に荘厳で煌びやかな音楽が迸り出てきた。
グリモーのピアノコンチェルトも第一番はこのバイエルン放送交響楽団が演奏しているが、指揮者はネルソンスであり当然ながら主席指揮者のヤンソンスとオケとの10年にわたる信頼関係と指揮者を知り尽くした演奏とは違うのだるう。
朗々と唄い流れるような木管楽器のメロデイラインが美しく、ポストホルンのごとくホルンが牧歌的な情景を浮かび上がらせるのに呼応するピアノの響きが美しい。
何とロマンティックなカデンツァだろう!
この春の演奏会の記憶と現実の演奏とが心の中で絡み合っている。
感動が湧き上がってきて思わず涙が出そうになった。
ツィメルマンのピアノと指揮者ヤンソンスの呼吸と間合いの解釈は一致を見たのだろうか?
時折ヤンソンスがツィメルマンに間合いを測るよな手振りをする場面もあったが、破綻は一切ない。
ツィメルマンがコンサートマスターに目配せで意図を伝えている場面はあったが、それはバイオリンとの掛け合いで、各パートトップ奏者がアイコンタクトを取るようなもの。
静かに始まる第二楽章のアダージョ。
ファゴットを中心に木管楽器の主題が流れピアノがメロデイを受けて静かに進行していく。
バイオリンの音量がもう少し大きければビオラやチェロとのバランスが良いのにと思うのは贅沢だろう。
時折笑みを浮かべ歓喜の表情で演奏を続けるツィメルマンのピアノをオーケストラが優し包み込む。
永遠の時を刻む第二楽章が終わり、続けて演奏された第三楽章。
冒頭の主題からピアノと弦楽合奏との掛け合いに真剣勝負の火花が散る。
ピアノが主役の第三楽章は息をもつかせぬ早いテンポで早瀬のように流れていく。
最後のフィナーレに向かって顔面を紅潮させて演奏するツィメルマンを鼓舞するヤンソンス。
重厚でソリッドな響きの低弦部に優しい流れるようなバイオリンが重ねられ、まるでオペラ歌手のような豊かな声量で歌い上げる管楽器、そして重みと深みのあるティンパニの打撃音。
ピアノがいつしかオーケストラと一体になる至福の時が永遠に続くかのような幸福感に満たされる。
演奏が終わった瞬間、沢山の聴衆が一斉に立ち上がってスタンディングオベーションで拍手を贈る中に小生も居た。
ヤンソンス、そしてコンサートマスターに続き、第二バイオリン奏者にまでハグを繰り返して感謝の意を表すツィメルマンに、楽員からも大きな拍手が贈られていた。
聴衆に向かって何度も深々とお辞儀を繰り返し、両手を胸に当てて喜びを表す度に大きな歓声と拍手が贈られていた。
休憩で興奮を冷まして展覧会の絵を聴く。
ピアノが運び出されてもなお編成が拡大され、パーカッションがひな壇の最上段に並べられたらステージが一杯一杯に見える。
見ると、グランカッサの倍はあると思える程巨大な銅鑼のアームを、まるでアラビアンナイトに出てくるハーレムの門番みたいな体躯の奏者が調節しているのには、少し笑いがこみ上げた。
演奏は前半の演奏でオケの実力にも慣れていたのか、大感激で涙をこぼす程ではなかったが、これは曲の質によるものだろう。、
兎に角、管楽器トップの演奏レベルの高さをこれでもかと感じさせる余裕ある演奏なので、安心して聴いていられるのが一番。
ヤンソンスの指揮は指示が明快で、どのようなニュアンスで演奏して欲しいのかが聴衆にも理解できる。
その指示通りの演奏ができるバイエルン放送交響楽団の実力は、南ドイツのスラブ民族音楽の血を色濃く受け継いでいるような演奏だった。
パーカッションの演奏には独特の新しい解釈が加えられているようで、ややシンコペーション気味に左右のマレットを振り下ろすティンパニに呼応して一呼吸置いて打撃するグランカッサなど、普段聞きなれた展覧会の絵とは一味違う味付けであった。
キエフの大門で最後の一撃が加えられ演奏が終わると、安堵の笑みの中にも疲れきった表情を浮かべていたヤンソンス。
お疲れ様と言わんばかりに体を支えて指揮台から降りるのを補助する、コンサートマスターの自然な仕草にオケとの信頼関係とヤンソンスへの尊敬の念が現れていると感じた。
鳴り止まぬ拍手の中で、サキソフォンに続いて管楽器奏者全員を讃え、引き続きアンコール曲が演奏された。
ドヴォルザークのスラヴ舞曲第15番である。
こういう曲を弾くときの弦楽器奏者の嬉しそうな表情と、ブラームスを演奏する時とはまるで違う体の揺れ。
短いが充実したアンコールであった。
最後は楽員皆に感謝の意を表して解散を支持したヤンソンス。
楽員達も握手やハグを交わして喜びを表していた。
気がつけば夜も遅い時間。
ミュンヘンの開場にまるでタイムスリップしたかのような夢のようなコンサートであった。
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