昨日3月2日の夕方に兵庫県立芸術文化センター大ホールで開催された、クリスチャン・ツィメルマンのピアノ・リサイタルを聴いてきました。
曲目はショパンのマズルカ、ブラームスのソナタ、休憩をはさんで再びショパンのスケルツォという構成でした。
ツィメルマンのショパンは多くの録音を残していますが、ブラームスはコンチェルトはあるものの、ソナタだと若い時代の録音はあるようですが既に廃版になっており手に入りにくくなっています。
2千人収容の会場を埋め尽くした聴衆の大半はツィメルマンファンの模様で、開演前から異様な熱気で暑く感じるほど。
最初にョパンのマズルカが4曲通しで弾かれました。
最初は何かを探るように、どこかしらおずおずとした遠慮も感じられましたが、徐々にエンジンがかかってくると、ピアノの響きが会場の隅々までに放射されるように活き活きとした演奏に変化していきました。
輝く宝石のような音がピアノから立ち昇ってくるかと思えば、重層的な祈りの響き。
流石にショパン弾きで名を成したツィメルマンだけあって、手慣れた熟練の技を披歴してくれます。
そして、4曲弾き終わるとホッとした安堵の表情を浮かべ、はにかんだような微笑を浮かべながらステージから下がりました。
再び現れるまでファンの拍手が鳴り止みませんが、これは儀礼的なもの。
次に弾かれたブラームスのソナタ第2番が素晴らしかった!
まだ19歳の若きブラームスが作曲家として最初に書き上げたのがこのピアノソナタ第2番で、クララ・シューマンに献呈されたこの曲には、どこかしらベートーベンのソナタのような響きも聞こえてくるようです。
兎に角、情熱的であり、また内省的でもあり、若きブラームスが秘めた恋心をそのまま楽譜に書き写したかのよう。
ショパンのような装飾性に富んだ響きとは一味違いますが、とてもロマンティック。
いつしか、ツィメルマンのピアノと会場の響きが一体化して一つの楽器のように鳴り響き、シンクロナイズしたような一体感を感じるようになりました。
小ホールの室内楽ではこのような感覚はよく起きますが、大ホールでは滅多にないことで、ツィメルマンもこのシンクロナイズした感覚にスイッチが入ったようで、時おり微笑みを浮かべながら素晴らしい演奏を聴かせてくれました。
一音一音の響きが研ぎ澄まされていくと、普段の生活ではとても聞き取れないような微弱な音やハーモニーを聞き取ることができる。
そのような不思議な体験でした。
休憩後に演奏されたショパンのスケルツォは良く聞く曲目ですが、会場全体がシンクロした状態で聴く演奏を、どう表現していいかわからないほどです。
ツィメルマンもそのような会場との一体感がとても嬉しかったのでしょう。
万雷の拍手とブラボー、スタンディングオベーションに応えて投げキッスを返した後に、ブラームスのバラード集から3曲も演奏してくれました。
演奏会が跳ねた後の高揚した気持ちは何物にも代えがたい宝物になります。
今回のツィメルマン・ピアノリサイタルで、ブラームスのピアノソナタ集を手に入れたいものだと強く思いましたが、廃版故に程度の良い中古を探したいと思いました。
(演奏曲目)
ショパン:マズルカ 第14番 ト短調 op.24-1
ショパン:マズルカ 第15番 ハ長調 op.24-2
ショパン:マズルカ 第16番 変イ長調 op.24-3
ショパン:マズルカ 第17番 変ロ短調 op.24-4
ブラームス:ピアノ・ソナタ 第2番 嬰ヘ短調 op.2
第1楽章:アレグロ・ノン・トロッポ、マ・エネルジーコ
第2楽章:アンダンテ・コン・エスプレッシオーネ
第3楽章:スケルツォ、アレグロ
第4楽章:ソステヌート
休憩
ショパン:スケルツォ 第1番 ロ短調 op.20
ショパン:スケルツォ 第2番 変ロ短調 op.31
ショパン:スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 op.39
ショパン:スケルツォ 第4番 ホ長調 op.54
アンコール
ブラームスの4つのバラードから、第1曲、第2曲、第4曲
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