誘われる理由 ― 初代A1から30年の2014年現在からMusical Fidelity の魅力を想う

日記・雑記
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Musical Fidelityといいますと、1980~90年代に発表された
A1シリーズに代表される、とにかく「温かく濃厚な音づくり」が
印象的なアンプの魅力を語りたくなります。

MFユーザーのA1使いこなし術なども
諸先輩方がいろいろネット上に披露されていて
私もけっこう役立てさせていただいていますが
そのような話を繰り返し書くのも、なんとなく気が引けます。
そして今年2014年は、初代A1発表から30年になります。
そんなこともあり、2014年現在において、
MFの(A1の)魅力を語るということが、
どうみなさんに受け入れられるかは
ちょっと考えなくてはならない気もしてきたのです。

私自身は、所有しているA1 Reference(プリメインアンプ)
F15(パワーアンプ)のほかには
A1.20SL(プリメインアンプ)を聞いたことがあるのみですが
初代A1から時代を経るにしたがって「濃厚さ」を残しつつも
解像度を重視したモダンな音づくりに移行していっているようです。

言わずもがなかもしれませんが
こうした移行は、市場動向の変化によるものでしょう。
MFの創業者であるアントニー・マイケルソンも
MF30周年にあたってのインタビュー
(ttp://www.musicalfidelity.com/about-us/interview-with-antony/)で
「マーケットのプレッシャーに応えなくてはならないし」
「人々が欲しているものをつくらなければならない」ことを
述べています。
企業家としては、まあ当たり前のことなんだろうと思います。

私もハーベスのSPを使っていなかったら、A1の魅力に気づかないまま
ある意味対照的なハイスピードでエッジが効いた音作りにはまって
オーディオライフを送っていたかもしれませんし
以下に述べることは、仮想の話に過ぎませんが
結局のところ、「音の嗜好の継続性」の話になるのじゃないかと思っています。

同じアントニーへのMF30周年のインタビューで
「ふりかえってみて若き日の自分にどんなアドバイスをするか?」
という問いに答えて、こうも言っています。

「会社を始めたときは、多くの人からアンプのブランドなんて入り込む余地は
ないと言われたが、自分はそういう意見は聞かなかったし、若き日の自分にも世間に受容されている知恵は、しばしば誤りであると言ってあげたい」。

そして「ディーラーは、たとえその要望にこたえたものを作ったとしても
常に自分にはないものを望んでくるのであって、そこには勝ち得るものがない。ならば自分の信念に忠実であれ。そうすれば手痛い誤りは防げるだろう」。

よく聞く話と言ってしまえばそれまでの話ですが
前段の引用とあわせて考えると、ちょっとおもしろい。
少し自家撞着を起こしている気もしますが
後段は「つくりたいものをつくれ」というメッセージに聞こえます。

ディーラーとマーケットの欲望はいかなる関係なのかも考えさせられます。
ディーラーの求める「新機軸の音」と、われわれユーザーの「音の嗜好」は
個人個人では、むろんばらつきはあるものの
引いた目で見ると、反発しあったり引き合ったりといった
駆け引きが繰り返されてきたような気もします。
資本主義ないしは消費社会の本質の問題でもあろうかとは思いますが
そこは深入りせず、「音の嗜好の継続性」に論点をしぼって話を続けましょう。

私とて、寒色系の音づくりに興味がないわけではありません。
たまに店頭で聞いたり、他人様のシステムを聞いたりしたときに
感激をおぼえることもしばしばです。
ただし日常的に音楽を聞く習慣というのは
ある種のアディクション(嗜癖)を生み出すことは
まあ必定なんでありまして、それを打ち破る「新機軸」は
どうしても刺激の強いものにならざるをえないと思うのです。
それが「解像度信仰」を強化したり、また逆に「アンチ解像度」かもしれない
「音色信仰」を強化している
とまではいいませんが、
そういう様相に近いものを生み出しているかもしれない。
つまり「音の嗜好の多様化」は「強い刺激のたまもの」ではあろう
ということです。

ひるがえってメーカーはどうか?
刺激的な新機軸を求めて「売れる音」を作っていけばいいのか?
アントニーは、自身クラリネット演奏家でもあり、自分の欲する音をもとめて
アンプ作りを始めた経歴の持ち主でもあることから、次のように述べています。
「A1でわれわれは
‘budget audiophile’(低予算のオーディオ愛好家とでもいえましょうか)
という新しい階層の人々を多く生み出した」と自負しつつ、
しかし「私たちが学んできたのは、どんなに良いものであっても、
たいていはそれを改善していく方法はあるものだということだ」

おそらくアントニーにとって、A1のできばえは良いものではあったでしょう。
売れたことで、オーディオメーカーとしても成功裏にスタートできたのですから、
それについての自負もあったとは思います。
しかしMFがA1以上にインパクトのある製品を世に送り出すことができたかというと、これは個人的見解ですが
首をかしげざるを得ない気もするのであって
最後に引用した発言は、「それは確かにそうだが…」という一般論を
払拭できるほどのものでもないんじゃないか。
MFのアンプは、その「改善」が、M1のインパクトを上回れなかった、
というのが正直なところではないか。
あまりに贔屓の引き倒し的発言になってしまいましたので
誤解のないように申し添えておくと
我が家のメインアンプはF15でありまして、
ATOLLのプリとの組み合わせにおいては
A1同様の傾向はありつつも、ひとまわり音場を広げて、
音像をカッチリさせたような印象があって
解像感と濃厚さという離反する要素をうまくまとめてあるな~ということで
音の仕上がりは、90年代以降のMFの音づくりの方向性がでているようにも
思いますし、「改善」がなされた好例じゃないか、とさえ思っています。

でもA1を聞いた後で、F15を導入したときは
「これはなるほどMFの音だけれど、別にA1でもいいかな~」と
正直思ってしまったのです。

(続く)

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