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透明な哀しみ、あるいはテンペラメントの系譜:シャニ・ディリュカの新作を聞く

日記・雑記
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シャニ・ディリュカの新作は、C.P.E.バッハとモーツァルトを
とりあげています。

で、アルバムタイトルが「テンペラメンツ(TEMPERAMENTS)」
この複数形というところがミソかな~と。。。
手持ちの英和辞書でも、この語の意味に
「(思考・行動に表れる)気質、気性」といった系統の意味と、
音楽用語としての「音律」という意味が載っています。

両者ともクラシック音楽に関しての使用は
若干わかりにくいように思います。
前者は、特に演奏者の技量の評価の基準として、
「曲想を感情的にうまく表現している」というような意味合いで
「テンペラメントがある」などと使われているようです。
後者は、大バッハのThe Well-Tempered Clavier「平均律クラヴィーア曲集」で、
よく知られるところですが、こっちは当方の知識の問題もあって
なかなかに定義が難しい言葉です。。。
ここでは「鍵盤楽器のように音程をあらかじめ固定しなければならない楽器を
調律する際の方法論」というのを引用させてもらいました。
(http://naokitsurusaki.free.fr/~tsurusaki/jp/Essais/temperament_intonation-0506.htm)

このアルバムにおいても、やはり両者の意味が意識されていることが
ディリュカ本人によるライナーノーツを読むとうかがわれます。
そもそもこのアルバムの成立には、彼女があるプログラムで
モーツァルトが愛したヴァルターのフォルテピアノ(コピー)で
演奏する機会に恵まれたということがありました。

このアルバムでも、M11とM12は、
そのピアノでの演奏(他の曲はモダン楽器)が収録されています。
ここで、音律の意味でのテンペラメントが問題として浮上します。
推測ではありますが、モーツァルトは、中全音律(ミーントーン)を
愛好していたそうで、やはり演奏で使われたフォルテピアノも
そのテンペラメントで調整されているんではないか。。。

中全音律については、私は詳しくないのですが
小方厚さんによれば「長3度を優先するために完全5度を犠牲にして、
しかもある程度の転調・移調を可能にした音律」(『音律と音階の科学』)
なのだそうで、不協和音を効果的に採り入れ、アクロバティックに
そのテンションを収束させる技に優れていたモーツァルトであれば
「転調・移調」に優れた効果を発揮するこの中全音律を愛好したのは
なんとなく合点がいきます。

事実、このアルバムのフォルテピアノの音もかなりモダンピアノとは
ちがう響きをしています。それがピアノの構造に起因するものなのか
テンペラメントによるものなのか。。。

まあ、ちょっと小難しい話になってしまいました。
このアルバムの聞きどころのひとつは
C.P.E.バッハ:ピアノ協奏曲 ニ短調 Wq.23(M4~6)
だと思います。
疾走感にあふれるモダンピアノがとても効果的なのです。
ちょっと前にジャン・ロンドーによる
チェンバロのヴァージョンも聞いて、よいな~とは思っていたのですが
このディリュカのピアノは出色のできなんじゃないかと思いました。
チェンバロにくらべて、その音色の透明感・疾走するスピード感が
より増して感じられます。
哀しみのテンペラメントが突き抜けていくその様は
ため息がでるくらいに美しいです。。。 

他の収録曲も、総じてピアノの響きが美しいです。
M1とM12は
C.P.E.バッハ:アンダンテ・コン・テネレッツァ(Andante con tenerezza)
Wq.65/32 (H.135)
ですが、モダンとフォルテの響きの聞き比べもできる趣向となっていて
私は存分に愉しんでいます。

最後にC.P.E.バッハとモーツァルトの関係について
C.P.E.について、かつて坂本龍一さんがおもしろいことを言っていて
大バッハとC.P.E.の関係は、チャーリー・パーカーとマイルスの関係に
似ている。。。というものです。

大バッハをいちばん尊敬していたのはC.P.E.なのだけど、
彼はどうしても大バッハのようにはなれない。
向き・不向きということもあるのでしょうが
C.P.E.はメロディーの美しいテレマンに近づいていき
ピアノ・ソナタでも父にはなかった美しさを獲得していく。
これが、ビバップに不向きだったマイルスがモード奏法に
活路を見出していく経緯に似ているというのです。
確かにビバップは技巧的にバロックっぽい感じもありますしね。

C.P.E.が古典派、とりわけハイドンやベートーヴェンに大きな影響を
与えたのは、世俗化・市民革命の時代のうねりの中で、
自意識を発露していく作曲家たちの
精神的な後押しをしてくれたせいなのでは。。。
なんてことを思いました。
別に大バッハを受け継がなくてもいいんだ、というと言いすぎでしょうが
自分たちの感情の発露を曲づくりに全面展開していいんだ。。。という
ブレイクスルーをC.P.E.が彼ら古典派の作曲家たちに与えたのでは
という考えです。

ディリュカのライナーノーツには
このアルバムの副題
In heavens, there is no boundaries.
に加えての文言があるのです。
There are only transformations.

古典派への「変貌」は、宗旨替えであるように思われたかもしれないけれど
音楽を擁護する魂にそもそも宗旨などないのだ。

モーツァルトは、長らく大バッハ派だったように思います。
後年、彼もC.P.E.を認めて「彼は父であり、われわれは子供だ」
と言うようになります。
彼がカルテットにおいてハイドンを黙らせ
ジュピターに向かっていく背中を押していたのは
もしかすると。。。なんてことを考えると
C.P.E.のテンペラメントの系譜は意外に続いているのかも。。。
そんなことを夢想させてくれた
このアルバム、みなさんにもぜひ聞いていただきたいです!

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