最後のシューベルト: 追悼ディナ・ウゴルスカヤ

日記・雑記
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                     2020年01月18日

ディナ・ウゴルスカヤが亡くなっていました。。。
昨年の9月17日、46歳という若さでした。
遺作となった『シューベルト: ピアノ・ソナタ第21番 & 楽興の時』は
これから日本でもCDの販売が開始されるようですが
一足早くDL版を入手して、毎日聞いています。

いい演奏だな~と贔屓目ながらも思います。。。
ひとりで夜に聞いていると、心の奥底に浸透してくるようなピアノです。
彼女のピアノは、これ見よがしな技巧をひけらかさないけれど
でも確かな技巧で、曲の情感を味わい深く表現してくれる印象があって
パッと聞くと地味なのですが、長く聞き続けていられる魅力がありました。
特に響きの美しさは、「あはれ」の叙情を聞く者に誘うような
哀切さがありました。
またシャニ・ディリュカと並んで、この人も私にとっては
白い炎のようなピアノでした。
表面的にはクールで透徹した印象だけれど、
いつも内面のメラメラと燃える炎のようなものを
感じるピアノを聞かせてくれていました。

私が最初に彼女のピアノを聞いたのは
シューマンの作品集でした。

アルバムの最後に収録されている
彼が精神的に混乱した中で書かれた『主題と変奏 変ホ長調』は
夢なのか現実なのか分からない境地を
透徹したタッチで描いているような気がして
一聴してひきこまれましたことを覚えています。

『ヘンデル:鍵盤楽器のための組曲 第1集』では
また違う一面も知ることができました。

全体として硬質だけれども、なんだか自由な表現で
生き生きとしたヘンデルはちょっとユーモラスでもありました。

遺作のシューベルトも
そんな彼女の凛とした音楽家としての佇まいを
堪能できるアルバムです。
情感をあえて抑えた静かで理知的なシューベルトですが
時折見せるユーモラスな表現や情熱的な表現が聞く者の心を揺さぶります。

アルバムのライナーノーツは
彼女自身による割と長文のものです。
シューベルトを絡めつつ
彼女の音楽家としての歩みを振り返るような内容で
レニングラードで父親(アナトール・ウゴルスキ)が
朝の4時か5時くらいからサイレンサーをつけて練習しているのを
まどろみながら聞いていたシューベルトの思い出に始まり
9歳のときに母と初めて行ったムラヴィンスキーのコンサートで聞いた
「未完成」の思い出は「記憶に新しい」とあったり
ドイツへの移住後、19歳の時にデトモルトでコンサートデビューした
その時に弾いたBフラットのシューベルトのソナタのことや
1993年のザルツブルク音楽祭への訪問時のアーノンクールとの思い出
そのとき聞いたアルバンベルクカルテットの
シューベルトの死と乙女、Cメジャーの弦楽五重奏曲。。。などなど
おそらく病状も進む中で書かれた彼女の文章は
哀しいけれども、
どこか幸せに満ちた音楽人生への感謝の言葉とも受けとれました。

夫の写真家による撮影のアルバムジャケットは
彼女の最期がどのようなものであったかを想起させるような
穏やかなポートレイトですが
夫や子どもを残し、父より先に旅立ってしまったことに対する
無念さをにじませるかのように
裏のジャケットには誰も座っていない椅子だけが写っています。

心よりご冥福をお祈りいたします。

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