菅野沖彦氏の遺言とも言えるのがステレオサウンドの下記の巻頭言です。
私のトラバトール40プラスJBL 3100のウーファーというシンプルなシステムがこれに大きく影響を受けて、現在の特異な自作システムになった原点です。残念ながらこの後の出稿はありません。
「メディアには計りしれないほどの内容の音が収録されている」ということを現在のシステムで実感できるようになりました。今まで聴けなかったミュージシャンの音楽が心に響き、オーディオやっててよかったと実感しています。
ステレオサウンド No.168 92〜93ページより抜粋
再生の無限の可能性
菅野沖彦
「次号の菅野先生のページはいつものように先生のお書きになりたいもので結構ですが、先日、音をお聴かせいただいた際、あらためてオーディオの計りしれない可能性を見たような思いがあり、そうした奥深さ・楽しさについてお書きいただくのもよいかもしれません」これは、本誌の編集長から送られてきた、この巻頭言の原稿依頼文の一節である。先日、編集長が仕事の打ち合せで来訪したおりに、僕のシステムの最新の音を聴かれて帰ったが、その後日のメールである。
オーディオの究極の目的は、音楽的魂の感動を得ることが、なんと言っても、主たるものと言えるであろう。そこで今回は、僕自身の経験したことから編集長の言葉に応えて書いてみようと思う。
本誌の読者なら、まさか、結構で豪勢なオーディオシステムを買えば目的が達成できると考えておられるとは思わないが、広く一般にはその程度に考えられているのがオーディオというものであり、音楽再生装置なのではあるまいか。最近のようにオーディオ機器やメディアにデジタル技術が活用されるようになると、自動機能が豊かになり、扱いはますます簡便化しているのは大変喜ばしいが、一方で集中して真剣に音楽を聴く習慣が希薄になっているのではなかろうか。したがって、オーディオをいい音で鳴らすのは難しいとか、機器そのものや使いこなし次第で、一生かけても掘り尽くせぬほどの深い趣味の世界が存在するなどということは、到底、想像もできない人のほうが多いだろう。しかし、メディアに収録されている音楽表現の内容のすべてを再現しようとすれば、あるいは、その音楽の魂の核心に触れようとすれば、そう簡単かつ単純にはいかないのが現実である。つまり、メディアには計りしれないほどの内容の音が収録されているということなのだ。
本誌編集長の言う「計りしれない可能性を見たような思い」とは、僕の音を定期的に20年近く聴いている人ならではの発言だ。オーディオ機器の使いこなしもさることながら、それ以前に、メディアに素晴らしい音が収録されているということなのだ。したがって、それを掘り当てて鳴らせるようにオーディオシステムを構築し、部屋との整合性と自らの音楽的見識と感性で丹念に調整すれば、無限といってよいほどの再生の可能性が秘められているということなのだ。
音楽芸術は抽象そのものであるから、これほど豊饒かつ饒舌な芸術も稀である。抽象の美は聴く人次第で生き死にが決まる。聴き手の聴き方、心への投影の仕方、投影される心象のスクリーンの大きさ……つまり、その人の精神視野の拡がりと大きさ次第であろう。そして、音楽を受け取る領域と精神の視野が大きくなり、音楽の知識と体験が豊かになって、音への感性が洗練されればされるほど、音楽の構成要素である「音」そのものへの理解と要求も高まるもの。
オーディオには技術的と人間的の両面から追究力がなければならない。機器の設計製造ならテクノロジーが優先かもしれないが、我がオーディオのユーザーは目的である音楽的欲求に伴う感性、教養、そして自分なりの音楽に関する見識がプライオリティでなければならない。オーディオは基本的な約束事を護ることは大切だが、ある程度大胆な冒険により、大きな発見をする可能性も大いに在る。ただ、そのあり方が間違っていると、とんでもない音になってしまうが、音楽的教養があれば、その危険性は少ないはずである。しかし、オーディオ的知識や技術だけでは、指向する音の方向性は極めて不安定で危険である。感性が働かないから、知性と物理的測定によってしか方向性を決められない。世間はこの方が確かに思えるかもしれないが、そこが具象と抽象の世界の違いである。今回のマイナーな冒険でもこれが語られるはずだ。
本誌編集長が先日聴いた僕の音は、ごく最近、2組のシステムを同時に鳴らす試みを実現したもので、いわば、オーディオ的には、かなり変則的なシステムである。これは、片チャンネルで10個以上、それもいろいろなタイプのユニットを同時に鳴らすもので、下手をすれば、収拾がつかなくなる危険性で一杯だ。しかし、オーディオはF1カーのサーキット走行とは違って、命を落とす心配はないから気楽である……。幸い、僕自身は、過去、長年にわたって録音制作を経験してきたお陰で、やたらに沢山の変換器の働きの状況を判断することと、制御することには馴れていたので、再生の時も部屋の中でのスピーカーシステムの音の働きもある程度見え、こういう時には大いに役立つ。そして、この年になって、やっと音楽の教養らしきものも身に付いたらしいので、音の方向性で迷うことはないのである。このシステムは、まだ、実験段階だが、幸い、冒頭に書いたように編集長の耳には達したようであった。
注
スピーカー
菅野さんは当時3系統のスピーカーシステムを構築している。
- JBLの375と537‐500ホーン中心のビーム状の放射波によるマルチアンプ・システム – JBL2205A(ウーファー)、JBL375+537‐500(ミッドレンジ)、GEM・TS208 P.S.C.Ver.2(トゥイーター)、ミューオンTS001 P.S.C.Ver.2(スーパートゥイーター)、ヤマハYST‐SW1000L(サブウーファー)
- マッキントッシュ・ラボXRT20のハーフ・シリンドリカル(半円柱状)の放射波を持つシステム – マッキントッシュ XRT20
- ベンディングウェイブ・ユニットによる無指向性の放射波によるシステム – ジャーマンフィジックス トロバドール80(トゥイーター)、JBL2205A(ウーファー)、エラック4PI Plus.2(スーパートゥイーター)
ジャーマンフィジックスのシステムが主力でした

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