23日にライブ放送されたNHKの第九演奏会は指揮が下野竜也氏で、合唱は新国立劇場合唱団でした。
第3楽章の終わりでハプニングがありました。男性合唱団員の一人が突然倒れ、3人にかつがれて舞台そで裏に運ばれて行きました。
第4楽章はその3人が自席に戻った後に開始されました。
これを見て初めて、テノールパートで合唱に参加した時のことを思い出しました。
ライトが当たり、音楽開始とともに緊張感が増していき、第二楽章では、目の前のティンパニーの強打に驚くとともにさらに緊張感が増し、心臓の鼓動がどんどん高まっていくのが分かりました。このまま倒れてしまうのではないか? なんでこんな席に座っているのだろう?
消えてなくなりたい!!と思っていました。
第3楽章の穏やかな音楽を聴くうちに、次第に緊張が解け、第4楽章が始まる時には歌う気まんまんになっていました(笑)。
合唱仲間が「第3楽章を聞いていると眠くなって困る」というのを思い出していました。
話は変わって先週のエンター・ザ・ミュージックでは藤岡幸夫氏が、第九のシラーの詩で、Freude(歓喜)を繰り返していると単調なので、シラーはその代わりにTochter(乙女)を使っていたが、ベートーヴェンはTochterを繰り返し使って、本来のTochterの意味に替えてしまっている、と指摘していました。
「汝の柔らかな翼」という言葉の「汝」はシラーでは「歓喜」ですが、藤岡解釈だと「乙女」になり、乙女に翼があるのは不自然ですね。
天使ケルビムという言葉も出てきます。確かにケルビムは4枚の翼を持っていますが、異形の天使で、森永のエンジェルマークとは大違いです(笑)。
無数の目を持つ生きた4つの車輪と一体化して、稲妻を放ちながら天空を駆け巡ります。
「天使ケルビムは神の御前に立つ」のは、人間が直接神の御姿を見ないよう、視界を遮っているのだそう。
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