昨年末から1月8日まではどっぷりなオーディオタイムとしてきました。ですが、2月には実演のコンサートが控えています。器用ではない自分には両方をバランスよくこなすことが出来ずに、どちらか一方に集中しないとどっちつかずとなってしまいます。だから、1月初旬から2月中旬までの1か月強は実演に向けた活動に集中します。
ですが、この二つの活動はとても似ています。
自分の場合は声楽/オペラなので、要点は以下となります。
①「正確な音」・・・楽譜通りに正確に歌えるようにすること
②「いい音」 ・・・楽譜通りの正確な音程だとしてもいい音と感じるか否かはオーディオをやっているひとなら誰もが感じていることかと思います。
③「好きな音」 ・・・こちらは個性の部分。個々の音楽性を発揮する部分でもありますね。
自分は大抵①「正確な音」のステージで躓きます。
新しく取り組む曲を正確に歌えるようにするのに苦しむのです。音程・リズム・発音など。大体において、自分は楽譜が読めないです。音楽の勉強を積み重ねてきた音楽家は楽譜を見ただけで頭の中に音楽が流れるので、その違いには驚きを通り越して劣等感すら感じてしまいます。ですが、楽譜など読めなくとも、子供だって歌は歌っていますね。耳コピしてしまうのです。だから耳コピするために徹底的に聴き込みます。こうして音程・リズム・発音を覚えます。聞くところによると、バロック以前のオペラ歌手は先生が歌うのを耳コピで覚えていた人が多いらしいです。
ですが、頭の中で覚えたからと言って正確な音が出せるかと言えば、そうではないのです。わかっていても出来ないことって沢山ありますよね。この正確な音の段階は本当に大変ですし苦しいです。音楽と書いて、音が苦とはよく言ったものだと思います。
もう一つ苦しいのが、ハモリパートの音。これは聴き込みをしても音が取れないです。主旋律の厚みを付ける音になるので、ハモリの音単独は聞こえてこないのが普通です。絶対音感のあるひとは楽譜を見ただけで頭の中に音が流れるのでよいのですが、音楽家が皆そうかと言えばそうではないです。むしろ楽譜だけでは音が取れない人の方が多いです。大抵の場合は楽譜の音をピアノを叩きながら音取りをしていますね。自分の場合は、ピアノも出来ないのでピアノと声楽を教えている先生のところに行って音取りを手伝ってもらっています。昨夜も先生のところに行ってきました。
オーディオの場合は、再生ソフトがあれば「音程」「リズム」「発音」は正確に鳴りますね。音程やリズムの狂った音が出たとするならば、それは機器が壊れていると言っていいかと思います。難しいのは定位や空間再生です。2本のスピーカーで立体や空間の響きを再生するのはとても難しいのですが、実現は可能です。ですがこちらも簡単ではないので、どうなればよいのか?、どうすればよいのか?何でそうならないのか?と悩んでしまいます。こんな時も音が苦に感じてしまいます。
オーディオと実演どちらも難しいですが、難しいから楽しいとも言えますね。難しくなければ達成感も得られませんし。頑張ったからこそ、自分を褒めてあげることも出来ます。今は新しい曲を正確に歌えるようするために、音が苦の段階で頑張っています。
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ヒジヤンさま、楽器が出来る方や正確に歌える方は本当に尊敬いたします。
≫②「いい音」 ・・・楽譜通りの正確な音程だとしてもいい音と感じるか否かはオーディオをやっているひとなら誰もが感じていることかと思います。
またも高尚じゃない話ですが、1月9日(月)に同級生のお父様が91歳で大往生され告別式に出席してきましたが、地元のお寺の住職(←彼も同級生‥)の声の質がとても苦手なんです。
ウチや親戚は、このお寺の檀家じゃないので良かったのですが、地元の住民の殆どが、この寺の檀家さんなんで、近所の告別式に出るたびにヤケに甲高いセミの声のようなお経を聞かされ本当にカンベンして欲しいと思う今日この頃でございます‥(汗)
たかけんさん、コメントありがとうございます。
音は本当に大事ですよね。
取り分け「いい音」は人の感性にうったえかけ心に響きます。
だから宗教に関する音も大事ですね。荘厳な神を感じさせるような宗教音楽は信仰を促すのに欠かせないと聞きます。
寺のお坊さんが唱えるお経も同義な大事さがありますね。だから、お坊さんは声を鍛えていると聞きます。いわゆる発声練習ですね。お経は単調な音ですが、それをいい音で唱えることで、人の感性にうったえかけ心に響かせなければなりません。
それが、皆が嫌がる「ヤケに甲高いセミの声のようなお経」では、信心深くなれないですね。
もしかすると、そのお坊さんは自分が「すきな音」なのかもしれません。でも皆が感じる「いい音」ではないのかもしれないと思いました。
「いい音」編も別の日記で書いてみたいと思います。
ヒジヤンさん、こんにちは
私は打楽器をやっていた関係上、音符のリズムは理解できるのですが
音程はダメです。絶対音階が取れませんのでやはりピアノとかで音を出さないと
音程が取れません。娘は幼少のころヤマハの音楽教室に通っていたので
絶対音階が身についているようで、単音を聞いただけでミの音だと即答します。
絶対音階は小さい時に習わないとダメなようですね。
ふかひれさん、コメントありがとうございます。
楽譜を見てリズムを刻めるのはうらやましいです。
厳しい先生になると、一通りの要素(リズム、音程、歌詞)が終わらないと歌わせてもらえなくて汗、汗、汗の連続です。
先ずは楽譜を見て、リズムを手で叩かせる。次にアで音程を取らせる。次に歌詞の読みをやらせる。一連が合格してから、やっと歌わせてもらえる。自分など、耳コピなのでひとつひとつ合格してからでないと歌えないのでは、いつまで経っても歌わせてもらえないのです。
ですから、優しい先生のところに行き、一連の流れをやったら歌の部分をピアノで鳴らしてもらい、それを録音し聴き込んで耳コピしています。
ですが、このことを音楽を幼少の頃からやっている仲間に話すと、「よく耳コピで歌えるようになりますね」「音楽的才能があるんじゃないですか」などと言われて固まってしまいます。やり方なんていいんです。自分なりのやり方を見つけることが大事ですね(笑)
ヒジヤンさん、
今後しばらくは演奏家になるのですね。素晴らしいです。頑張ってください。
私も楽譜を読めないので、楽譜が読めるともっと音楽を楽しめるのでは?といつも悔しい思いをしています。ただ、音楽の素養があると言われる人達の多くが、演奏することには熱心でも聴くことに無頓着なことが多いという事実もあります。
私以外の家族は何らかの楽器を演奏するのですが、間違いなく私が一番音楽を聴いています。それでも「これ弾いたことあるけど、あのパートが難しいんだよね」など、演奏したことがないと分からないコメントを聞くと「弾けたら良いなあ」と思います。
演奏家に「あなたは何か楽器を演奏しますか?」と訊かれると、「私は音楽の消費者です。私のような熱心な消費者がいるので、あなたは生産する音楽で生計が立つ」という負け惜しみを言っております。でもこれは事実でしょう。
尚、絶対音感に関しては、有れば素晴らしいのでしょうが、無くても全然問題ないようで、シューマン、ブラームス、ワーグナー、チャイコフスキーなどは絶対音感が無かったそうです。
のびーさん、コメントありがとうございます。
今日は1日アンサンブルの初合わせをやってきました。必死で練習したにも係わらず、ピアニストに、「軽快な曲なのにおじいさんみたい」と言われてしまいトホホです。
ですが、実演での演奏とオーディオ演奏のどちらが難しいかと問われたら、「どちらも難しい」と答えます。オーディオも簡単ではないですね。線を繋いで電源を入れればある程度正確な音が出ることが容易ではありますが。
実演の演奏家は音程とリズムは長けていますが、耳コピ力と音質については負ける気がしません。聴いているところが違う感じですね。実演には、音楽を自分で奏でる楽しさはありますが、オーディオほど多岐に渡っての学びが必要なことはあまりないのではと感じています。
いい音編では、その辺りの違いを書いてみます。