続・ラディカルさと通俗性のはざま – “Map to the Treasure: Reimagining Laura Nyro”

日記・雑記
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さて、“Map to the Treasure: Reimagining Laura Nyro”のレビュー
の続きです。

私個人は、ローラ・ニーロが大好きで、
ほとんどのアルバムを持っているぐらいです。
彼女の魅力は、一言で言い表せない多様さがあり、
どのアルバムもそれぞれの魅力があると思いますが、
今日とりあげる話題に関連していえば
1969年の“NEW YORK TENDABERRY”は、ラディカルな彼女の音楽志向が
もっともよく表れたアルバムといえるでしょう。
私が彼女のことを知ったのは、1984年“MOTHER’S SPIRITUAL”リリースの
あたりですから、
このアルバムをオンタイムで聞いていたわけではありません。
でもこのアルバムのもつラディカルさと静謐さは、
リリース当時、特筆すべきものであったろうと想像できます。
私にとって、このアルバムはBGMとして聞き流せない数少ないアルバム
のひとつです。聞き流そうと思っても、どこかで聞き入ってしまいます。

その聞き流せない理由となる要素はいくつかありますが
強引に2つにくくってみました。

①彼女のヴォーカルスタイル
from a whisper to a screamというと
ちょっと色っぽい形容になってしまいますが
ささやくような声から金切り声にいたるまで
触れ幅の大きいダイナミックな表現スタイル。
音程も上へ下へと移り変わります。
また「ルバート(=自由なテンポ)だらけのピアノの弾き語りに、
リズム・セクションやオーケストラをオーバーダビングするという
大胆なアイデア」
(『ONE CHILD BORN ~ LAURA NYRO JAPANESE SITE』のアルバム解説より引用ttp://www.geocities.jp/lauranyro_japan/works1)
も劇的な効果をさらに高めています。
このへんが好き嫌いの分かれるポイントだと思います。
ブロンクス出身の彼女は、ブロードウェイのミュージカルの影響も少なからず受けていたと思われ、1曲1曲が短い一幕の劇になっているような感じさえあります。

②独特のリバーブのかかった音楽空間
上述のような彼女の演奏スタイルですと、
とてもホットな演奏となるはずなのですが
ほぼ全編にわたって、独特の深いリバーブ(エコー)のかかった音楽空間が
形成されています。
これがクールダウンの効果を果たしていて
熱く演じるヒロインを見ている観客席にいるかのような気にさせられます。
ちなみにこのアルバムは、彼女にとって3枚目のアルバムですが
似たようなリバーブは、過去2作品にも感じられます。
しかしこのアルバムが、その傾向がいちばん顕著です。

すこし長々と“NEW YORK TENDABERRY”というアルバムの魅力を
語ってしまいましたが
このトリビュート・アルバムの1曲目は、まさにこのタイトル曲なのでして
私はビリー・チャイルズの意図をなんとなく察知しました。
彼なりの“NEW YORK TENDABERRY”への2014年現在からのオマージュが、
このアルバムのテーマなのだろうと。
ですから、たとえばこのアルバムの全編に展開される深いリバーブは
彼女のアルバムに親しんだことのない人々にとっては
少し奇異に感じられるだろうと思いました。
私でさえ、この深く森のなかに分け入って、
あたかも「宝さがし」をしているかのような感覚には、すこし面食らいました。
4曲目くらいまでは一連の組曲を聞いているかのような錯覚にとらわれました。
浅い夢をみているかのような感じ。
5曲目のリッキー・リー・ジョーンズのヴォーカルにまどろみから少しさめ
6曲目のアップテンポな Stoned Soul Picnicで、はっきり目覚めたと思ったら
7曲目で再び森のなかに迷い込む…
といった展開に翻弄されているうちに、アルバムを聞き終えているのでした。

このアルバムのライナーノーツで、ビリー・チャイルズが収録曲各々に
コメントを残しているのですが、1曲目のNew York Tendaberryへのコメントが
興味深いので一部引用します。

「(この曲の)アレンジには、3つの中心的なキャラクターがあります。
すなわち声(語り手)・チェロ(引き立て役、今まさに語られているように
ストーリーに注解を加える)・ピアノ(不変に内在する存在)です」。

最後のピアノの「不変に内在する存在(a constant underlying presence)」は
訳に自信がないのですが、私なりに解釈すると「表現の魂」のようなもの
もう少しくだけた解釈では「ベースノート」ないしは
バロックにおける「通奏低音」みたいなものかな~と思えます。
またこの曲では、チェロをヨー・ヨー・マが弾いているのですが
このチェロを、ゲスト伴奏者や他のストリングスと置き換えてみると
アルバム全体に、このコメントを援用できそうです。
これがビリー・チャイルズの“NEW YORK TENDABERRY”解釈ないしは
再創造のキイとなっている気がします。

つまりけっこうコンセプチュアルに作りこまれたアルバムといえるわけで
ローラ・ニーロというと、一見奔放で、わりとアドリブ的な演奏を
得意にしていたと思われがちですが、このアルバムを聞いていて、
意外に彼女の楽曲は、構築的で、ヴォーカルのフレージングなども
彼女独特の上へ下へわりと激しく移動する節回しは
崩しにくいのだな~というような再発見もありました。

そろそろ長いレビューのまとめです。
このアルバムを難解だととらえる向きも、もしかしたらあるかもしれません。
ですがローラ・ニーロご本人の音楽的資質にも似て
ビリー・チャイルズのそれも
どこかラディカルさやアバンギャルドに振り切ってしまわない
通俗性(大衆性)があって、それが魅力となっています。
そうしたはざまに展開される音楽空間は、いつも劇的でありながら
どこかクールにその音楽自体を見つめる視点が内包されているという点で
豊かな広がりを持っています。
その豊かさを自分なりに再創造してみせたビリー・チャイルズ、
そしてその a constant underlying presenceをいくぶんかは担ったはずの
ラリー・クライン両者の懐の深さは、賞賛されてしかるべきでしょう。
みなさんも深いリバーブの森で、ご自分なりの「宝さがし」に
興じてみてください。
では愉しい探索~散策を。。。

(終)

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