「目指せ!耳の達人」を読んだ

日記・雑記
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先日の「オーディオ耳と音楽耳」日記の中で、参考になる書籍も数々あるとしました。これらは、アイキャッチ画像を何にしようかと検索したところ出てきたので、タイトルだけ見て合いそうだと思ったものです。ですが、日記の中に提示しておきながら、中身を知らないのはどうも座りが悪かったので取り寄せて読んでみました。

 

今回は、<「音楽」と「音」の匠が語る 目指せ!耳の達人 クラシック音楽7つの“聴点”>です。

内容は、「音楽の匠」 宇野 功芳氏「音の匠」山之内 正氏共著であり、二人の対談形式で音楽、音にまつわる難解な要素を、さまざまな視点から論じたものです。各々の実体験を交えながら、「クラシック音楽を聴く」という行為に深く関わる、しかしこれまで意外に語られなかった要素についての対談でした。

 

以下に目に留まったことの見出しをピックアップしておきます。

 

序章:音楽批評とは何か

「音が出た瞬間に伝わること」

-ほんの一瞬音が出ただけで指揮者の何がわかるのかと問われれば、それはその指揮者のもつ才能がわかるのだと思います。指揮者の才能と言うのは、耳が良いとか、棒が上手いとかいうことではありません。まったく別のものです。それは「響き」と言うしかないですね。(宇野)

 

「聴き手の才能」

-様々な批評を読み、実際に聴いて、自分の感覚を相対化していくことで、「自分が良いと思う演奏はこういうものだ」という基準ができ、より深い聴き方が出来るようになると思っています。(山之内)

 

第1章:ホールの響きと音楽

「聴き手にとっても、演奏家にとっても、ホールの適度な残響は必要」

-音楽を作り上げる上でもホールの響きというものがいかに大事かわかります。音楽を作る作業と言うのは、お互いの音を聴くと言うことから成り立っているわけですから。(山之内)

 

「音楽にふさわしい演奏空間」

-つまり、ホールが助けてくれる場合も、逆にホールの響きが足を引っ張る場合もあるし、何もしてくれない場合もある。そのバランスが良いのが、東京文化会館なのかもしれません。(宇野)

 

第2章:響きと耳

「普段どんな響きの部屋で練習しているかは重要」

-響のよい部屋で練習すれば、コーラスでもオーケストラでも上達が早いのでは。(宇野)

 

第3章:録音が演奏者に与えた影響

「昔の録音で、ホールを使わなかった理由」

-響だってよいとは言えません。ただ、こと”録音”においては、ホールで録るより都合がよかったのかもしれません。(山之内)

 

「ライブ録音とセッション録音」

-個人的にはライブとの折衷で行きたいですね。合唱団がお客様に向かって歌うのと、マイクに向かって歌うのでは違うんです。(宇野)

 

第4章:映像からわかること

「映像があるからこそ、思いを巡らせられること」

-音楽を聴くのに絶対に必要なものではないけれど、音だけでは気づかなかったことが伝わってくることもある。(山之内)

 

「オーケストラの楽器配置」

-数多くの楽器をきれいに分離させて聴こえさせようとしたら、低音は右、高音は左と分けたいということになったのではないでしょうか。(山之内)

 

<<山之内正のリスニング・ルームを訪ねて>>

・音楽評論家の宇野氏が、自身が指揮したCDと、「録音に問題があるのでは」と感じたCDを携えて、オーディオ評論家の山之内氏のリスニング・ルームを訪ねた

 

第5章:録音はどこまで音楽を伝えるか

「ホール空間の再現と、録音でしか聴けない音」

-でも、生では聴けない、録音でしか聴けない楽器の音というのはあっていいと思います。それが”レコード芸術”ですから。(宇野)

 

「音のバランスが良ければ、音楽も演奏も十分伝わる」

-確かに音が良くなったからと言って、評価が180度変わってしまうことはないでしょうね。(山之内)

 

<<宇野功芳のリスニング・ルームを訪ねて>>

・アンプやスピーカーなど60年近く使い続けているという宇野氏のシステムの「音」を”音の達人”はいったいどう判断するのか

 

第6章:再生環境によって変化するもの

「部屋の残響による音の変化」

-聴く位置を30㎝後ろにしたり、立ったり座ったりすると、それだけで変化する可能性があります。(山之内)

 

「部屋の適度な響きが耳を育てる」

-プラハ、シエナと言った歴史のある街の旧市街地はすべて石畳で建物も石造り、街の中にいるだけでホールにいるような感覚です。そういうところで育ったら、耳はよくなるんでしょうね。(山之内)

 

「生演奏の音量と再生時の音量」

-適切な音量で聴くかどうかによって、音楽の良し悪しの判断がひっくり返ってしまうことさえある。(宇野)

 

「再生装置によって音楽の伝わり方はどれだけ変わるか」

-フルトヴェングラーの<第九>だって、猛烈に感動しましたよ。「これは音が悪いな」とか一切思いませんでした。(宇野)

 

第7章:クラシック音楽の”頂点”

「生とレコードはやはり違うのか」

-つまり、「レコードは生と別物」「レコードで聴く演奏は偽物」と一概に言えないということです。(宇野)

 

「演奏会の印象を、まったくそのままCDで聴けることも」

-CDで聴いているだけでも、「このステージは凄かっただろうな」ということが手に取るようにわかります。(山之内)

 

「周波数特性が感動につながるわけではない」

-結局頼りになるのは人間の耳だけ。でも、耳でしか判断できない部分にこそ、大切な情報があるのではないかと思うんです。(山之内)

 

<感想>

・対談のお二人の世代的にも、話の中に出てくる事項が、「東京文化会館」「フルトヴェングラー」「レコード」がメインとなっていることからも、一世代か二世代古い考えであるように感じた。

・「音楽の匠」と「音の匠」の対談で、読み物としては面白い。

・だが、「オーディオのサウンド磨き」に対しては、音楽と音に関する切り口を知るレベルでの役の立ち方に思えた。

・反面として、有識者の考えを知識として知ることによって「頭でっかち」となることの懸念もわいた。

・知識として知ることと、実際にやれることとは別ものだからである。

・オーディオマニアに幅広くお勧めできるか?、と問われたら、「読まなくていいと思う」と答える。

・職人志向のヒジヤンの感想です。

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